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赤い弟

ある日、頭上に渦が出来ていた。
その瞬間、町のみんなは誰一人動くことなく、空を見上げていたはずだ。
渦の先には凄まじい雷鳴が鳴り響き、たったの一回大きな稲妻の光が落ちた。その光が落ちた時、激しい風がほんの一瞬ふいたが、私はその瞬間、よろけてしまった。不意の風に抗う事が出来なかった。
そうして、不注意で巨木に頭をぶつけた時、私のおでこに君が産まれた。君は私を姉と呼び、すがってきたが、私は不注意で生まれた弟を愛していいのか分からなかった。私が弟を心から愛せないことで、弟の心が曇らないかといつも疑っていた。

弟は、赤く、じくじくとしてお腹が空くといつも泣いた。
彼が産まれてから一度も笑い声を聞いたことがなかったが、泣くたびに激しい痛みが伝わった。
弟は殆どしゃべる事が出来なかったが、「ねーね」と「まんま」とだけ言った。私がよろけて頭をぶつけたことで産まれた弟は、とても小さく、あの日、渦の先から落ちてきた光を食べて生きていた。
何故か、その光以外を欲しがらなかった。

弟はあまりにも小さく、赤く、じくじくしている。いつまでも私が頭をぶつけた時の姿のままで、おでこから動くことも出来なかった。じくじくと赤い弟に光をやりながら、私のおでこはズキズキと痛んだ。今もずっとあの日の事を思い出すたびに、痛みは激しくなった。
私は弟が赤く、じくじくとし始めてお腹を空かせるたびに、あの日見た光を与えて弟が泣き出すのを鎮めていた。
弟が泣き出すと、その振動と涙で更におでこが痛んだ。私の手元にあの光があるうちは弟が泣くのを止める事が出来た。

でも、あの渦の先の光は永遠ではなかった。
大きな光が落ちた時、町中の人たちがあの光を集めたが、それも徐々に減っているのが分かった。いつも笑っていた若者の背中のタンクに入った光が空になりそうなのを幾つも見た。今朝は、子どもたちが光を欲しがって空に近い山に登り、遭難したというニュースが流れていた。いつからか、みんな光が落ちてくるのを待ちわびていた。
あの日、あんなにも衝撃を受けたのに、いつの間にかまたあの光がやってくる事を祈っていたのだ。
私のタンクも、もうそれほど多くは残っていなかった。弟はもうすぐ泣き出すだろうと思っていた。

その夜、私はせめて月の光を集められないかと外に出た。弟は酷く偏食だったが、何もなくなれば泣くだろうと思っていた。弟が泣いたら、私の頭がその振動で痛むのを恐れていた。弟は激しく、じくじくと血を垂らすように泣き出すのだ。
その日、彼は静かに眠っていたので起こさないようにそっと家を出た。
夜道は寒く、顔が冷たかった。そのせいで、弟が起きてしまうのでないかとひやひやしながら、私は空を見上げた。
夜空に月の光はなかったが、その代わり星がよく見えた。
その時、私は久々に顔を上げることが出来た。普段は弟が寒くないようにと前髪を伸ばし、さらけ出さぬように気を使っていた。彼は酷く赤く、じくじくとして、すぐに激しい痛みに変わってしまうのだから。
私は姉として彼を守っていた。
弟は静かにおでこで眠っていたが、ある星の下に来た時に急に泣き出してしまった。
ほんの少しだけ残っていた光を与えたが、弟が泣き止むことはなかった。

突然、恐れていた事が起きてしまった。
弟の泣き声は大きく、私は目も開けれないほど頭が痛かった。蹲りながら、夜空を見上げると、真上の星が今にも弾けてしまいそうなほど振動していた。
何故だか、弟の泣き声で震えているように思えた。
私は耐えきれないような痛みの中、あの光がまた降りてくる事を祈った。
弟は泣きながら何かを言ったが、何と話していたのか分からなかった。彼はきっと私を頼っていたはずだが、私の不注意で産まれた弟が本当に私を頼っているのか自信がなかった。もしも私が頭をぶつけていなければ、弟は赤く、じくじくと濡れてはいなかったかもしれない。こんなにも痛みを感じる事なく産まれてきたかもしれないのだ。
私は震える星の下で、弟が産まれた時の痛みが癒されることを祈っていた。私の願いはただそれだけだった。

ぼんやりとした意識の中、空を見上げていた。あの日、頭上の渦を見た時のようにその星はたったの一回激しく光ったが、光が落ちてくる事はなかった。風は静まり返り、時が止まったような光景の中、弟の激しい泣き声だけが聞こえていた。それは、まるで、水中に居るかのように遠くなっていったが、私は姉として弟を守らなければならなかった。
あの日、不注意で、赤くじくじくとして産まれてきた小さな弟の声がする方へ立ち上がろうとした時、あろうことか、私はまたよろけてしまった。
転倒し、通路に後頭部をぶつけたが、これからもずっと、その日起こったことを忘れることはないと思う。

弟は私が転んだ瞬間、頭を打ち付けられた勢いで高く飛び上がり、赤く熱い光の玉に姿を変えた。
飛び上がった弟は、あの日、頭上に出来た渦のように膨れ上がり、大きな光に成って夜空に吸い込まれて消えていったが、私はその時、弟が笑うのをはじめて聞いた。激しく泣いていた弟が、いつの間にか渦のように大きくなり笑っていた。あの赤く、じくじくとした弟が、私の不注意で高く飛び上がり、大きな光に成ったことの喜びを、私はいつまでも忘れられなかった。