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「今はまだ雨宿り急ぐほど重要な理由もない」ーAKG25thライブ@Zepp Tokyo

あの日の未来がフラッシュバック

無邪気に喜んだり、しくしくと悲しんだり、それが良くも悪くも誰かに伝播してしまうことを恐れて、段々と感情をストレートに表現できなくなった。おとなは、だいだいみんなそうだ。
だから、コロナ禍で、思うように人と会えなくても、好きなライブに行けなくても、「なんともないふり」をして、時にそのふりにすら気づかずに、毎日を淡々と過ごせてきた。仕事に勉強に集中しているふりして。

そんな状況に気づけたのは、光の当たるステージに、お腹の中に響き渡る音に、自然と涙が出たから。

部活仲間がくれたMDに入っていた「未来の破片」。アジカンにハマったきっかけの1曲、浪人中の青い空気、小さな黄色い銀杏並木、オレンジ色の千駄ヶ谷、横浜スタジアムの10周年、タワレコに走った夜、全てがフラッシュバックして、我慢していたものがあることに気づけた。


とかっこうつけてみましたが……

実に23ヶ月ぶりにライブに行ってきました。

コロナの感染者数が全然減らない、7月。親友の誕生日プレゼントにかこつけて「なんとなく、行けるかもしれない」と、とっておいたチケットが、こんなに最高になるとは思ってもなかったです。ときどき、神様は思いがけないプレゼントをくれる。笑

しかも、2021年12月末で閉まってしまうZepp Tokyoで。さらに、前から2列目のほぼセンターという素晴らしい席で。(ひきの良さは、自分の自慢です!)

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アジカンのライブは、ホール以外指定席のないスタンディング。フェスも含め、割ともみくちゃの大合唱を楽しんできたので(もはや今はそれができるか体力的に不安)じっくり音と4人の表情を楽しめるのが、ライブ解禁記念に、本当によかったです。離れてしまったシモリョーがいないのはもちろん寂しかったけれど、だからこそ、シンプルで力強い演奏をじっくりと味わえたのもまた、25周年にふさわしく、贅沢でした。

自然と歌いたくなってしまうもので、マスクの中で声にならない声をひたすら大口で、放ち続けていました。きっとみんなそうだったのではないかな。ライブ中に声を出さないなんて、無理だと思っていたけれど、誰一人大きな声を上げる人はいなくて、拍手にすべてを込めていました。

ライブ配信のアーカイブは、今日の21時ごろまで観られるようなので、気になった方はぜひ。

全部良かったのだけど、とくに詩の良さを再認識できたという意味で「UCLA」がとってもよかったです。

足りない心を満たしたくて駆け出す

音楽、映画、ドラマに演劇……ひろくエンターテイメントが、人に必要なことを改めて感じる夜でした。

カラカラに乾いた風の心をもっていたほうが、毎日をやり過ごすには楽なのかもしれないし、一見うまくいくのかもしれない。けれど、「本当にそれでいいのか?」と立ち止まる、振り返るときがあったほうが、きっといい人生になる。すくなくとも、私たちには必要な時間でした。

それは、もしかしたら、雨宿りかもしれないし、まだ覚めない夢かもしれないけれど。

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