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人間は皆、罪人なのか?性被害者の叫びをエリックゼミはどう感じたのか?             -2月9日公開『一月の声に歓びを刻め』の三島有紀子監督とエリックゼミが魂のディスカッション-

性被害者が罪の意識を持つこと。この耐え難い現実を皆さんは知っていますか?

性被害者が罪の意識を抱く問題は、複雑で深刻な問題です。この問題の背後には深刻な心理的影響が存在します。まず、社会的なスティグマと非難が挙げられます。性被害者はしばしば無実の罪の意識を課せられ、社会的なプレッシャーや他者からの非難を恐れ、自分を責めることがあります。これが罪の意識を生む一因となります。

また被害者は何か悪いことをしたのではないか、なぜ自分が被害に遭ったのかといった疑問に自問自答し、自分を責めることがあります。無力感や自己責任感が罪の意識を増幅させることがあります。

加害者の力と影響も重要です。加害者が被害者に対して権力を行使し、抵抗が難しい状況を作り出した場合、被害者はなすすべがなかったとしても自己責任感を感じ、罪の意識を抱くことがあります。

最後に、性被害による深刻な心理的影響は残酷で避けられない現実です。心の傷が癒えるまでには時間がかかり、その過程で罪の意識が生じることがあります。多くの場合は、その闇から抜けられない。これらの要因が複雑に絡み合い、性被害者が罪の意識を感じる根本的な理由となっています。

この現実を、どう考えますか?そして、どう向き合いますか?

三島有紀子監督の『一月の声に歓びを刻め』は、そんなメッセージを私たちに訴えかけてきます。いや、訴えかけているのではなく、一人で孤独に叫んでいると言った方が適正かもしれません。鑑賞者が作品に寄り添わない限り、三島監督が描くメッセージを受け取ることは出来ないでしょう。この作品は鑑賞者の作品に対する姿勢が問われる作品なのです。

12月7日、青山学院大学エリックゼミにて、『一月の声に歓びを刻め』を特別に上映していただきました。そして、上映が終了後、三島監督自らが教室に足を運んでいただき、学生たちが自ら作品と向き合い、監督に寄り添い、心からのディスカッションをしました。

ディスカションでは、マイノリティとは何か?人間はみんな罪人なのか?理不尽な性の衝動は人間が動物だからなのか?という社会問題的な側面から、三島監督が描いた細かいシーンからセリフの一言一言の背景にある意味についても質問と意見が取り交わされました。

エリックゼミとして、一人の人間として何をすべきなのか?

被害者の感情を尊重し、理解しようとするのではなく、まずは全てを受け入れることが重要です。被害者はしばしば自己責任感や罪悪感を抱いていますが、私たちその感情を全て理解できなくとも、理解しようとする姿勢と、非難せずに受け入れることが求められるのではないでしょうか。
 
また、被害者の話を聴き、感情や経験を分かち合うことは、被害者にとって解放感をもたらすのです。ただし、無理に話させるのではなく、被害者が自分のペースで話せるようにサポートすることも大切です。私たちは被害者を無理に励まそうとするのではなく、感情の表現を促すことが求められます。感情を押し殺すことなく、被害者が自分の感情を健全に表現できる環境を提供することが重要なのではないでしょうか。
 
私たちは被害者に対して信頼と心からのサポートを示すことが必要で、被害者が自分を信じ、サポートを感じることで、少しでも回復への道のりが少しでも軽減されるのではないかと思います。まずは私たちが被害者を受け入れ、信じ、サポートすることで、彼らが健康的な回復を遂げる手助けになりたい。と様々な意見が飛び交いました。

私は、『一月の声に歓びを刻め』を通して、辛い実体験を映画化した三島監督の勇気と儚さに言葉にならない感情に陥りました。人間の愚かさと弱さ、醜さ。それでも、生きていかなければならない現実。正直、この作品を4回観ましたが、まだ自分の感情を整理できていません。この作品にどう向き合うのか、納得出来るまで繰り返しこの作品を観続け、三島監督と向き合ってみようと思っています。これは、一つの覚悟なのです。
 
Peace out,
 
Eric


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