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シノヘ歴⑤(NSC 7月〜8月)

前回はコロナに苦しんだ7月上旬のお話。今回は7月中旬~8月末。

5-①.相方探しの会(非公式)

コロナ療養も明けた7月中旬、僕は焦っていた。
今月の現役生ライブに出れないことは確定していたが、何より相方がいない

僕は漫才師になりたくてNSCの門を叩いた。
当然ながら漫才は一人でできるものではない。
相方を探そうとするも、僕はNSCの最初から立ち回りを間違えていたため、僕と組みたい人間なんて本当に一切いなかった。

困ったなぁなんて悩んでいると、1人の同期が相方探しの会(非公式)を開催するという情報を得た。
すぐにコンタクトを取り、参加させてほしい旨を伝えて詳細をいただいた。

来たる相方探しの会。
レンタル会議室を抑えて、30名ほどで実施だった。
時間ギリギリに現地について会議室に入る、「誰ぇぇ~~~??」

どの授業でも見たことがない顔ぶれで、真剣に7割くらいは知らない人だった。NSC生じゃないというドッキリすら疑うレベルの知らない人たち。

僕はケツにバイトの予定があったので、1時間ちょっとで抜け出したのだが、あそこで出会った人間で連絡を取ってる人はまるでいない。
僕の記憶が正しければ、約30人中20人は芸人をやめた。危ない会だった。

5-②.新コンビ結成

ちょっとピンでやってみよっかなぁなんて思って過ごしていると、久しいヤツからラインが来た。

「久々に飲みに行こうよ」、森田 涼太郎だ。

入学すぐに会ってぶりなので丸2か月近く空いての連絡。
クラス分けで全くかぶらなかったため、もちろん接点はなかった。
なんならイメージは、面白いけどイケ好かないやつだ。

バイトがない日に予定を合わせて、御堂筋の口八丁で集合。
近況報告だったり、お互いのこれまでの人生の話とかをした。
会ってみると、全然トガってないし、むしろ優しい。

前のコンビはどうだったのかと聞くと、
KOC対策ネタ見せで、特別講師のライス田所さんを前に ”相方を亀甲縛りするトンチンカンなネタ" をして、チャンピオンを絶句させたという過去を持っていた。(ラガマフィン時代の話をすると、涼太郎は露骨に照れる)

その後も楽しくなって、当時 涼太郎が働いていたアミューズメントバーで何杯も飲んで、G2でワチャワチャして朝に解散した。

3件ハシゴして生み出された絆で、コンビ結成を決めた。

さてコンビを結成するとなると、ついて回るのがコンビ名問題。
僕は劇場所属後を見据えて、こうしたいなという憧れがあった。

それは【出囃子とコンビ名に相関があること】
なんなら出囃子の曲名とコンビ名が一緒なのが一番カッコいいと思っている

僕はTHE BLUE HEARTSとThe Beatlesが好きなので、どっちかの曲名からコンビ名を取りたかった。

中でもBeatlesのレディマドンナ、デイトリッパー、ア ハード デイズ ナイトのイントロが大好きで、これを提案するも却下。

涼太郎は、真空ジェシカさんのような、夕凪ロマネコンティさんのように、湘南デストラーデさんのように、『漢字+カタカナ』の組み合わせに憧れていた。(チョイスに他意はない)

当時同期でも多かった組み合わせのコンビ名に嫌気がさしていた僕は拒絶。
ラインでやり取りをしていてよかった。僕は短気なのでイライラしていた。

すると涼太郎から「大和カントリークラブ」はどうかと?
二人とも奈良県出身で、すごくピンときた。
これにしようと返すと、涼太郎はジョークだったようで嫌だと。

なんだこいつ、ちょっとめんどくさい可能性が出てきたぞ。

ここからは涼太郎の弱大喜利連打。
泥水すする・なめる、茶柱、茶柱亭**・**、、、
もうちょっとダルくなっていたところに、涼太郎から「万利休」

あれ? よくね?と。カッコイイんじゃねと。
泥水一門からの脱却により感覚が麻痺しており即決。
2021年 7月31日 コンビ申請完了。

ちなみにこの7月には、当時同じマンションに住んでおり、現:同居人の野球ゆうごの当時のコンビが現役生ライブで上位入賞しており燃えに燃えていた。

5-③.万利休スタート

時間はさかのぼるが、コンビ結成を決めた飲み会の翌々日には公園でネタ合わせを開始していた。

当初僕は、涼太郎はツッコミの人間だと思っていたので、僕がボケを担うつもりでいた。
いざ書き上げたネタで公園でネタ合わせ。
なんのこともないプレーンでシンプルなしゃべくり漫才だ。

まずは僕のイメージを伝えて、2人で読み合わせ。

とてつもない違和感。なんだ? なんだこの気持ち悪さは。

涼太郎は漫才においてはツッコミが本当にへたくそだった。
日常においては絶妙なタイミングでぶちこんでくれるのに、漫才となるととにかくツッコミ音痴だった。トーン、テンポ、テンション、全て違った。

どうにかならんもんかと思いながら、逆でやろうかと提案。

読み合わせてみると、さっきよりは断然よかった。
ここからは涼太郎のツッコミ欲を抑圧してネタをすることとなる。

ネタ見せ授業については欠かさずエントリーした。
初月ながら月3~4本とネタを下ろして、授業に挑んだ。
当時僕は24時を回るバイトをしていたので、それが終わってからでもなんばパークスでひたすらネタ合わせをしていた。
今思うと、このころがピークで熱かったと思うし、楽しかった。

もちろんこんなにまっすぐ頑張っていたので、NSCも出番を与えてくれて8月の現役生ライブでは出番をもらった。

5-④.万利休 初舞台

8月末日、MCは滝音さん。
僕は高校時代にTORIIホールで見た、SK2さんの鬼しばき漫才時代のサスケさんが好きだったので、めちゃくちゃドキドキした。

前日も夜中まで寝た合わせをしてたのに、朝8時とかに集合してネタ合わせ。あの時ならイヤホンをしてアイマスクをしてもネタができたと思う。
それぐらい仕上げまくっていた。

NSCに向かい、説明を受けてマンゲキに向かう。
客席に座って全体リハを終えて、しばらくしたら開演。

僕たちは1ブロック目のもたれ、8番目。
すぐ後ろには、野球ゆうごの当時のコンビ。燃えまくっていた。

正直ここからは全然覚えてない、袖で待機して、出番直前のときなんかは視界がグラグラして、頭が痛かった。
この頃から数か月は、舞台前にグッと2人でハグをしてから舞台に飛び出していたのだが、同期に気持ち悪いと指摘をされてやめてしまった。寂しい。

さてネタについてだが、程よくウケた。会場全体の笑いもあった。
出番後に同期からウケてたねと声をかけてもらうくらいだった。
僕の初コンビはすべっていたし、涼太郎にいたっては初舞台だ。

ただ見に来ていた同期に聞くと、アンフィールドが圧倒的だったと。
クラスも違い、知らないなぁと考えていたが、帰ってからネタを見ると爆おもろだった。すごい、あんなネタを書きたかった。

夜になると当日の順位が発表されるのだが、僕たちは当日36組中2位、2日通しても72組中2位の大健闘だった。1位はもちろんアンフィールド。

大歓喜しながら涼太郎と連絡を取り、その日は寝た。
ただこの上位によって次の殴り合いイベントの出場も決まった。

次回、9月以降 ( M-1予選 → 現役生ライブ→ゲキトウ)

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