シノヘ歴⑩(芸歴1年目 下半期)

ギャンブルモンキーと化した芸歴1年目の上半期は第⑨回を。

10-①.10月

10月は自力では全く思い返せなかったのでツイートとスケジュール帳を頼りに振り替える。

どうやら饒舌を始めたのがこの月。

UPでは次々点くらいで負け続けて、M-1では1回戦で落ちて、何も形がないコンビだったので、なんとかネタを量産して惨めな思いをしない2年目にしようと禁忌に手を出した。
あとは普通にライブがないと不安になるから、自主でも人前でネタがしたかった。
臆病すぎる、心臓もガリガリ。パワプロで投手なら「ピンチ×」「一発」持ち。

当時、似たような状況でもがいていたコンビ3組を誘って、主催4組・ゲスト4組という形で、新ネタ3本ずつおろす場を作った。
めちゃくちゃ自己満足だ。
ぼく個人が新ネタが好きだから良いものの、未完成なものを90分見せられるお客さんはさぞしんどかっただろう。

ぼちぼちの盛況で初回を終えて、翌月の開催も決めた。

10‐①-1.芸楽杯

また当月は、あいはら先生の「芸人やるのも楽じゃない」のプチコーナーではなく本企画への出演もあった。

漫才師を6組集めて、審査してもらい順位をつけてもらう企画。
ゲストにスーパーマラドーナ武智さん、ザ・プラン9 お~い!久馬さん。そして社員さんが1名。

演者は、宛先プレーン、ナックラー、銀矢倉、桃源郷、満丸、万利休。
圧倒的に見劣っている。なんとも無個性でキャッチコピーがつけがたいコンビが紛れ込んでしまった。まずい。

スケジュール抑えの連絡が来たときに、嬉しさ半分焦り半分だった。
ただ、なんとかこの辺りで結果の出ない状態から抜け出したかったので、配信番組でも印象に残れと思って新ネタを書き上げた。

焦りの詰まった早口ノリツッコミザイマン。ひでぇもんだ。
ちなみに芸楽の本企画への出演依頼もこれが最後だった。
チャンスクラッシャーだ。ことごとくハズしている。


10-②.11月

もう11月なんてホントに何も覚えていない。
強いて言うなら、いいネタがなさ過ぎてUP TO YOUのエントリーを初めて2ケ月目に回したくらいのもんだ。

そんななかでの饒舌Vol.2、ノリツッコミネタを形にしようとして諦めた月。
始めるのが遅く、諦めるのは早い。父の悪いDNAを色濃く受継いだ弊害だ。

10‐③.12月

この月は2か月に1度のUP TO YOU。1ヶ月ステイしたので3か月ぶり。
ネタはNSC時代に作って、1度しか外に出していなかった「化学部の日常」

ネタを作ったときは2人でゲラゲラ笑って作ったネタだったが、雑な作りだったこともあって1年半ほど寝かし続けてのものだった。

結果は毎度おなじみパっとせず!あまりにもパッとしない!
ひどいもんだ、おみくじでも引いたら「勝負事:するな」と書かれてるんじゃないかというほどの結果の出なさ。そういえば北斗のパチンコで闘神に覚醒したためしもない。あちゃ~。

ただそんな悪いことがあると大暴れするのがパチンコ。
P高須クリニックという、世界一面白い台で37000発という大記録を叩き出したりもした。
涼太郎は、月間で誇張なしで9万発くらいを捻りだしていた。
あの時期のパチンコ屋は、僕と涼太郎が来るたびにぶるぶる震えていたに違いない。玉神だった。

そして年末、12/29、1日だけ実家に帰省するもやんわり体調不良。
翌日、体の違和感を覚えながらバイトに。
みるみるうちに体がだるくなり、早退。
家に帰って寝ると、夜には39度。もう最悪。

実家には80を超える祖父母もおり、肺炎でも起こそうもんなら大変なため、再帰省の予定も中断し、一人で熱にうなされた。

年末だったため、病院もやっておらず39度で2022年フィニッシュ!
もっと笑いながら特番とか見たかった。

10-④.1月

1/2、偶然家から近くの病院が高熱者外来の受け入れをしていたため診療。検査をすると、なんとコロナではなくインフルエンザ。

インフルエンザは2日以内であれば、速攻効く薬もあるはずなのに、年末であり薬局が開いていないこと、開いていてもインフルが少し流行っていることもあって自転車圏内の薬局では薬切れを起こしていた。

子供のころは毎年インフルにかかっていたので慣れっこだったが、大人になってからの高熱がこれほどまでにしんどいとは。

なんと5日間も38℃台の高熱から抜け出せず、年末年始を完全に棒に振った。初詣とか大好きなのに。ちなみに6月現在まだ行けていない。

1週間ほどでようやく復帰。マジでしんどかった。

この月は、高校時代一緒にお笑いをしてたマセキ芸能の徳原旅行に8年ぶりとかに会った。
ライブで大阪に帰ってきていたようで、スケジュールがあったので居酒屋で2時間ほど食べて飲んだ。相変わらずの体の大きさだった。

もともと僕はそんなに活動してなかったが、大学生の頃にお笑いは一度やめて完全な疎遠だったので、再開してよかったと思った。

あとは人生初の確定申告をきちんとした。
派遣も含めてで6~7拠点くらいを転々と働いていたので、源泉徴収書類を集めてるときは、ほぼ悟空の気分だった。

悟空はまだいいよ。。集めたら願い叶うんだから。俺、追徴されたぜ?

10-⑤.2月

2月は梅田のライブBarで開催された堂山ダイゴア*ル、それにUP TO YOU。

堂山ダイゴア*ルは、すごくキュッと簡単に言ってしまうと売れていない若手芸人だけのプチ賞レースだ。

あまり梅田の土地に詳しくない僕は、当日バイトを終えて現地に向かった。

駅で涼太郎と合流して歩くも、どんどん怪しい方向に。
途中ラブホテル街を通って、立ちんぼの女の子たちを見て絶対にこの辺りではないと確信したところで、Googleマップの案内終了。

嘘つけい!! 明らかに怪しい飲食ビルしかないところ。
夜のお店のキャッチが沢山いる中で、ひときわ水商売感が強いビルの案内看板にそのライブBarの名前を見つけた。

あっとんかい。あってしまっとんかい!
嘘であってほしかったが、会場入り。入ってみたら大量の芸人。

同期の宛先やドレコを見つけて安心しながら出番を待つ。
この日は新ネタ。あまり思い入れのないネタを持って行った気がする。

順番が来て袖から飛び出した瞬間に、舞台の変な形と会場の変な形にびっくりして一瞬ネタを飛ばした。

そんなコンビのネタはウケるはずもなく終了。
やっぱり初めての会場のドキドキは尋常じゃない。負け。

ちなみにこの日は、東京から来た畑山大魂さんという、もうフリースタイルダンジョンも困惑するほどフリースタイルなピン芸人が爆ウケしていた。

そんなこんなで2/4 UP TO YOU
この月はどうしても勝ちたくて、ここ最近で一番面白いと思っていた「痴漢を止めたい」という漫才。

客席はほぼ満員。出順は2番。
メンバーは強い日だったが、ウケればそんなの関係ねぇと僕の脳内の海パン男が踊り狂っていた。

いざライブスタート。
播磨エビスさんのMCでホクホクに温まり、1組目。

お客さんの反応は難しいところ。
トップバッターは難しいなぁとの雰囲気からの、我々。

おしりを触るマイムをしながら痴漢が許せないというほぼ犯罪の導入から入るネタだったのだが、手応えは良かった。(痴漢だけにってか、これはよくないボケ)

そこからの3分間はバランスよく気持ちよくウケて、ニコニコしながら裏口から出て煙草を吸ってダメ出しを聞きに。

ライブ終了を待ち結果が出ると1位 ごぞうろっぷさん、2位 山口滉人
二組ともバカウケだったらしい。中でもごぞうさんは客票をほぼ満票集めての1位通過。
再結成1発目だったしめちゃくちゃ見たかった、、なにをヘラヘラして煙草吸っとんねん。

僕たちがウケたと思ってた日はただただ客席が暖かいだけの日だった。

この月にちょっと揉めて、いつもの冗談じゃない解散するぞの話し合いがあった。

10-⑥.3月

さて45期の大ライブも終わり、芸歴1年目特需の恩恵を受けれる最後のUP TO YOU。

当月は、出順もよく14/18番目。
同期にはゆうらん飛行、いなせ弁慶、吉本所属一発目の深海魚。
ネタは迷いに迷ったが、前月に饒舌で降ろしていた「ペットロス」というとち狂いネタ。

NSCに入るまでは、と言うか、つい数か月前まではこんな変なネタを書くようになるなんて思わなかった。好きな芸人は学天即さんと大木こだま・ひびきさんなのに。

しゃべくり漫才にプライドを持っていたのに、気づいたら舞台上に四足でしゃがみこみ、ハァハァ言いながら犬になっていた。

プライドが薄すぎる、オカモト01だ。
ただ別にこうなってしまった以上仕方ない。楽しかったしウケてたからまだいいかという感覚である。丈夫なところもそっくり。ほんと日本のコンドーム産業と四戸家の育児方針には脱帽である。

さてこの日も嬉しい差し入れを沢山いただいて、初めて会うお笑いファンの子とも喋れたり楽しかったのだが、僕たちはブルーだ。

同期のゆうらん飛行が勝ち上がり、僕たちはちょうど真ん中あたりのパっとしない順位。

先月からの悪い雰囲気もあったが、もうこのままではどうにもならない。続けても未勝利の8年目UP TO YOU芸人になる未来がうっすら見えていたので、なにか起爆剤をと考えていた。

そんな中でちょうどUNDER5という若手芸人のための大会が始動すると発表があり、その動画予選〆切が3月末に迫っていた。

そこで夏ごろからうっすら計画していた「万利休トリオ化計画」のために、一人を新たに補強選手として迎えようと考えた。

バカそうで元気そうで大きいやつを条件に何人か声をかけたが、全敗。
これを機にやれることはやったなと二人で判断し解散を決めた。

1年と8か月。
高校生のカップルなら周りから「将来結婚するんじゃない?!」とか言われるくらいだが、一生のビジネスパートナーとしては短い期間だった。

一緒に遊んだり楽しかったし、ずっと結果が出ていないのに応援してくれるファンの方は少しずつだが着実に増えていた。

ただ芸人からの評価が低かったこと、僕が27歳とリミットを設けてお笑いをしないと現実的に厳しいことが決定打だった。

ピン芸人へ登録を変更して、1年目の幕を閉じた。

次回、芸歴2年目編(4月・5月)

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