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シノヘ歴③(NSC入学~初舞台)

「いつになったらお前はシノヘになるんだ」
今回は入学式~最初に組んだコンビが終わるまでのお話。
今日はサクサク進める。別に飽きたわけではなく、読んだら長かった。

3-①.NSC 入学

2021/4/21(日) 入学式
受付開始は朝8時、早すぎるやろ。。。

時間の少し前に到着した僕は、案内に従って受付を済ませて入場。
NGKの1階席に案内され、式が始まるころには1階がほぼ満員。
おそらく300~400人はいた。これで全員ではなくリモート出席もいた。

入学式は大体みんなが想像するあの感じだ。
ただ登壇するメンバーが、藤原副社長や劇場支配人、先輩芸人など。
式自体は今まで何度も経験してきた退屈な雰囲気。

ただ一つ印象に残ってる言葉がある。誰が言うたかは覚えていない。
「君たちは今後寝るとき以外は、ずっと面白いことを考えて過ごすこと」

ニュアンスはこんな感じ。全然できてない、、エロイことばっか考えてる。

3-②.入学ガイダンス

僕の記憶が正しければ、入学ガイダンスは2日間に分かれて行われた。
入学式の後と、翌日の朝から。

僕は翌日だったため、式後は同期とびくドンで飯食って帰ってバイトした。
ドンキには12人ほど集まったが、あの時のメンバーはほぼ芸人をやめた。
辞めていなくて思い出せるのが、鰤、定時、ジゴロー。ちょっと弱い。
カンカンもいた気がする。全員ちょっとデカい。

翌日に入学ガイダンス
この日初めてNSCに登校。 思ったより普通のビル。

昨日と違うのは緊張感でピリッとしていた。
EVで6階まで上がるとアシスタントさんが入り口で挨拶を見てくれる。
声が小さかったり、流している人は怒られてやり直していた。
大きい声で挨拶をして入室、すぐに一番前の列に座った。

ガイダンスが始まると、僕は首がとれるくらい頷いた。
マスクをしてても分かるくらいニコニコしながら話を聞いた。
説明会中に、社員さんから「君は気持ちよく話を聞くね」と褒められる程。
僕は社会人をしていたので、話を聞くフリがすこぶる上手。

どれくらい上手かというと、サラリーマン時代に”マヒンドラマヒンドラ”というインドの自動車メーカーが工場視察に来たことがあった。
その時、我々に対しては通訳を通すか英語で語りかけてきていたのだが、マヒンドラの社員同士はヒンドゥー語と思しき言葉で喋っていた。
それを見てつい悪癖が出てしまい、分かるわけもないのに頷いて聞いているフリをしていたら、僕が理解していると勘違いしリアクションを求めてきたことがある。それくらい聞いているフリが上手。ハッタリが国境を越えた。
余談だが、0話で紹介した先輩社員Tはコミュ力が異次元すぎて、中学レベルの英語だけで爆笑をかっさらったあげく、マヒンドラの技術者に「君をインドに連れて帰りたい」と言われていた。

3-③.相方探しの会

ガイダンスの後は相方探しの会が控えていた。
適当に振り分けられたクラス同士が出会えるように2日間で計画されていた。
お見合いパーティーのように思い思いに話しかけて、相方を探す会。
ガイダンス後からそれが始まるまで空き時間が2~3時間あった。

芸人志望は社会の流れに反してヘビースモーカーが多い。
NSCでは、半径10㎞以内でタバコを吸うことが許されていなかったが、みんな限界が来ていた。

絶対にばれない路地裏を探しながら10人程度で隠密行動。
初日にリスキーな行動とるな! ほんで人数減らせ!!
リトカメ野上と定時がいたのは覚えている。あとは曖昧。
こじんまりとした喫茶店に逃げ込み、しこたまヤニチャージ。

時間が来たのでNSCに戻って相方探しの会。
まずはツッコミ志望、ボケ志望、どちらでも可の3つに分かれる。
分かれて説明を受けた後に大部屋で混ぜられる。僕はどちらでも可。

同じ部屋に入れられた時に隣に座った男 Aがいた。彼はツッコミ志望
マスクをしていたが目元がキリッとしており同じくらいの背丈
スタイリッシュな漫才がしたかった自分には輝いて見えた。
アシスタントから自由行動を告げられた途端に話しかけてくれ、握手を求められた。「もうコンビを組んでしまおう」と。

いきなり?と思ったが、いいなと思っていたので連絡先を交換し解散。
他の人たちにも話しかけて連絡先を集めた。

会が終わって僕は、NSCビルの出口で同期を適当に捕まえてファーストキッチンに行った。
実はそこで今の相方の涼太郎には出会っていた。
最初の印象は、誰かのボケに外野からボソッと一言ツッコんで笑いを取るタイプ。面白いけどちょっとスカしてていけ好かない印象だった。

1時間ほど話してふら~っと解散し、夜には10人前後で飲みに行った。
この場も半分くらいはもう芸人をやめた。
俺はことごとく絡む人間を間違えてスタートを切っていた。
ちなみに相方探しの会で出会ったAとはこの場でコンビを組むことを仮契約した。

3-④.コンビ結成

翌日、お互いのネタ帳を持ち寄って僕の家に集合。
彼は前年まで札幌のナベコメスクールに通っていたため、ネタのストックも当時からするとぼちぼち所持していた。
僕も書き溜めたネタはあったのでお互いに見せ合い。
まぁ悪くなさそう、、やってみるかということでネタ合わせ。
違和感のある関西弁を使うが、それ以外はまぁ別に良かった。
強いて言うなら私服がちょっとイヤ。大きい十字架のネックレスをしてた。

気になる点が一点、彼のネタ帳の冒頭には必ず以下の一文があった。
 「はいどーも、他力本願児です。お願いします」
嫌な予感が的中した、彼は誰と組もうがこのコンビ名でやると決めて飛行機に乗って大阪に来たのだ。

そう、彼こそがNSC44期中退・45期再入学の1年半で”他力本願児”という全く同じ名前のコンビを5度組んだ気狂いの葛西である。
僕は恥ずかしながら他力本願児 初期メンだった。
今は1期下の後輩なので今後会えば、敬語を使わせようと思っている。

ここでNSCへコンビ結成申請書を提出。
ここで四戸はシノヘになりました。
カタカナにしたのは、珍しい苗字ゆえに本名での検索に引っかかってしまうから。親兄弟に秘密で芸人をしている身としては大事な防衛手段だ。

5月の間はコロナの影響で対面授業は無し。
Zoomでの授業がたくさん入っていた。
ダンス、ネタの作り方、芸能界の生き方、、様々だった。
僕は毎授業後に必ず質問をして、とにかく人の記憶に残るよう行動た。
この時を振り返る同期はみんな口を揃えてこう言う。
 「お前とは友達になれないと思った。」
 「正直うざすぎた。質問がなければ5分早く終われるところを」

よっぽど嫌だったらしい。ちなみにここから1年間立ち回りを間違い続ける

6月からは、ネタ見せの授業が始まった。
最初のネタ見せ授業は、レジェンド講師の本多先生。
今でも覚えているが、僕はこの授業で衝撃を受けた2組がいた。
 ・ともこ…詳細は覚えていない
 ・彼岸花…モミアゲを肛門まで伸ばしてそのレールに電車を走らせるネタ
内容は何一つ理解できなかったが、なんか面白かった。

そんななかで僕が頂いたご好評とアドバイスは、
 「もっとゆっくり喋ってネタやりや。以上」
もうお笑いとか云々の前の話で凄いやるせない気持ちだった気がする。
ちなみにこの授業終わりにNSC前で満丸の二人が話しかけてくれたのを覚えてる。あいつらは本当にいいヤツ。

そこからは、大工先生、あいはら先生、久馬先生、藤田先生など…。
いい評価もあれば、チリ紙みたいに役に立たないアドバイスももらった。

そんなこんなで6月中旬に現役生ライブRUSHの出場組発表があった。
MCはビスブラさん。すんごいワクワクした。
前年にはABC、数か月前にはNHKの大賞をとっていた。

掲示板を確認すると、僕たちのコンビ名は…2日目に出番をもらっていた。
きちんと真面目に授業に出ていたので、今思えば当たり前なのだがとっても安心した記憶がある。

ただこの頃には既に僕たちは会うたびに険悪なムードで、6畳一間の室内で数時間ネタ合わせすることすら我慢できないレベルだった。
何のネタをするかでも揉めたが、なんとか妥協し葛西が作った中でもこのネタならいいかと思えるネタをやろうと合意した。

日々ネタ合わせをして軋轢を深める。
振り返っても、とてもじゃないが良いコンビでは無かった。
このライブを最後に解散しようと結論を出し合ったうえでの初舞台だった。

3-⑤.初舞台 6月 RUSH

いざRUSH当日。
僕は楽屋で葛西と一つ取り決めを行っていた。
それは飛び出しの瞬間に僕の「拍手~」の盛り上げセリフで登場しようと。
理由は単純、少しでも前を向いてネタを見てもらうための策略だった。

僕たちの出番は2番目。
ビスブラさんのOP後、トップバッターは満丸。

満丸の登場と共に大きな拍手で迎えてくれるお客さん。
「拍手煽りははいらんな」
緊張する中で葛西に伝えて、「おう」と返事が聞こえた。

舞台袖で緊張しながら部隊を覗くが、まぁウケてる。
彼らは初めて見た時からずっと上手い。納得のトップバッターだった。
十分温まった会場。出囃子が鳴り、大きな声を出しながら飛び出す。

「はいどーもーー!!!」
シノへの高音が響き、葛西の一声目を待つ。

・・・こない。え? ええ?

体感10秒の沈黙ののちに葛西が放った言葉
「じゃあ、拍手でもしてもらいましょか」

自分なりに解釈すると、
 ・舞台袖での僕の一言を適当に相槌で返し、
 ・僕が拍手煽りを飛ばしたと勘違い、
 ・コンビとしてのフォローをアドリブで入れた
とのことだと思うのだが、意味が分からな過ぎた。

大きな拍手で迎えたお客さんは「?」を浮かべながら再度拍手、
焦った僕はおしっこを漏らした子供のようにヘラヘラして拍手をした。

そこから2分はうまくウケるはずもなく、地獄が続いた。

これが未だにまれに語られイジられる、
 「拍手煽り 本ネタおスベリ事件」である。

44機からRUSHは順位がつけられるようになったのだが、僕たちはブービー

作家さんからのコメントは以下のとおりである。
 「なんで拍手2回した? その時間にひとつでもボケを足そう」
ぐぅのねも出ない大正論。こうして僕の芸人スタートは失敗に終わった。

解散を決めていたものの、お互い次の予定はなかったのでネタ見せに出るために一旦継続するかという話に落ち着いていた。

ところが病弱のシノヘ、7月に入った途端 まさかのコロナ罹患。
当時はギリギリ怖いもの扱いだった時期だったため大騒ぎ。

次回、特別編
「シノヘ、コロナ罹患生活」

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