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「話題にあげる」と「生まれの格差」是正に繋がる?


NYTimesでこんな記事に出会った

Seeding Accounts for Kindergartners and Hoping to Grow College Graduates
幼稚園児に口座を作り、大卒者になるよう期待する

ある自治体で、幼稚園児に「大学進学用の貯金口座」が開設され、初めからお金が振り込まれている、というものだった。金額は100ドル

日本でもそうだが、アメリカの大学の学費は特に高く、年間で寮費など含め2万ドル〜5万ドル程度はかかるのが普通だ。100ドルでは初年度費用にも満たない。この施策の狙いは何か

それは「高等教育に関して、意識を向けるため」だった
わずかでも、お金が振り込まれた口座が用意されることで、母親たちの会話に「今後の進学」ついての話題があがる。子どもたちも「どの専攻にするか」といった高等教育を意識した具体的な話題があがる。

教育課題を語る中では、生まれた環境によってすでに教育達成への意欲が異なる、といった「後天的な施策では太刀打ちできない」とでもいうかのような論もある。無力感に苛まれて課題から目をそらしかけていた私にとって、この「100ドル口座」の施策は、可能性を感じるものだった。

話題にあげる、意識にのぼらせる、と聞くと真っ先に思い浮かぶのは広告だ。ただ教育課題、それも特に日本の教育課題で難しいのは、「届けたい人に届けること」だと思われる。なぜなら、第三者の目では「届けたい人」でも、その当事者にその自覚はないからだ。だから、単に世の中に広告を流すだけでは、届けたい人には素通りされてしまう可能性が高い。
(もちろん、寄付者など違う属性にアプローチする広告もあり、そちらは論点が別となる)

大学進学の貯金用として口座が作られ、すでにお金も入っていたら。特に日々切り詰めて生活をしている人にとっては、否が応でも何かを考えさせられるきっかけになるのではないか。

給付金というやり方には、どこか乱雑で責任逃れのような印象があったけれど、やり方によっては額が大きくなくても十分にその投資効果を得られ流ものだということがわかった。

日本でそっくりそのまま展開するのはハードルがあるが、考え方の1つとして、記憶に留めておきたい記事だった。

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