結婚を人生の意味付けに使う気がして
自分の人生の目標は何なのか。何を成し遂げるために今頑張っているのか。
もっと若い頃には、裏打ちもないその場限りの言葉でしのいでいた気がする。だけれど今は、軽々しく答えることができない。
いま答えるとするなら「まだ言葉にはできない。心動かされることをやり続ける。その先に見えるかもしれないし、一生探し続けるかもしれない。」といった感じ。
答えのない課題を考え続けることはしんどい。早く結論を出してしまいたいし、ゴールを設定して最短距離でそこに向かいたいと思ってしまう。
そんなとき、強制的に意味らしきものを設定できる薬を発見した。結婚とそれに続くライフイベントだった。「私はこの人を支えている」「私はこの子たちを元気に幸せに育てる」そんな役割をもてる気がした。
と考えてみると、ふと結婚が怖くなった。私は本当に結婚して、家庭を築いていきたいのか。それともただ人生の意味を見つけ、答え探しの苦しさから逃れたいだけなのか。
きっと私は弱いから、自分から苦しい道なんて選ばず、幸せに見える道を選ぶのだろう。だけど1つだけ心に決めているのは、人生はあくまで私の人生として考え続けること。苦しさに向き合うこと
言い換えれば、妻としての私、母としての私、に安住しないこと。
結婚間近のひとりごと。
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