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「どこでもドア」でもタイムスリップできるのではないか

先日、長女に付き合わされドラえもんの映画を見ていた。
映画では毎回と言って良いほど出現するドラえもんの未来道具「どこでもドア」だが、今回その映画を見ながら、タイムマシンではなくどこでもドアでも未来や過去に行けるのではないかという疑問が湧いてきた。

行きたい場所を唱え、扉を開くとその場所に繋がるどこでもドア。
では仮に2018年現在のドラえもんが、タイムマシンを使って10年前にタイムスリップしていたとしょう。
そうなった時、2018年にドラえもんはいないことになる。
ドラえもんが10年前にタイムスリップしている時に、ドラミちゃんがどこでもドアの前で「お兄ちゃんのところ」と言って扉を開くと、10年前にタイムスリップしているドラえもんのところへ繋がるのではないか。

そうなった時、ドラえもんがタイムマシンでタイムスリップしていなくとも、どこでもドアの前で「5年前のお兄ちゃんのところ」と言えば、その扉は繋がるのではないか。

そんなことを延々と考えた昨日。
小さな頃からよくある癖だ。
他人にとってはどうでもよい疑問が湧いてきて、気になって仕方がない。
つい深く考え、突き詰めてしまう。
学生の頃は新しいことを学ぶ度に、この癖が出現し、先生にも納得行くまで質問を重ねた。
先生曰く、この思考回路は哲学者に多いらしいのだか「哲学」の意味自体あまり理解できていない私には何も役に立たない変わった癖だ。

#ドラえもん #どこでもドア #癖 #変な癖