菖蒲理央に関する愚察

合理主義者の理央が、珠生への感情を矛盾なく理屈が通るように自分の中でかみ砕いていった結果、運命という最も非合理的な結論に辿り着いてしまうこと自体が、名状しがたい、少なくとも一般的には軽くはない想いの強さの証左になっている事実がりおたまの良さであり、私が1番に好んでいる要因である気がする。

物語での言動から見るに、基本的には不確定要素をできる限り排除したい、できるだけ効率的に動きたいと考える傾向はある気がする。そういう意味では、感情というものは最も曖昧で、形や結果として手に取りづらいものであるからにして、感情的になって人を欺くという行為は非効率的かつ不確実的であり、誰かを説得するためには有効ではないと判断して、手段としてはまず初めに除外しているような気がする。故に、理央が感情を表に出しているときは、他人を嘘で欺いているときではなく、むしろ本心を吐露していることの方が近いのではないかと思った。
感情が理屈で制御しづらいものであり、それは理央自身も例外ではなく、だからこそ自分の事だけは俯瞰的に見れないと言っていたのだと思う。
同級生が珠生を強姦しようとしたのを止めなかったのを初め見たときはあまりにも意味が分からなかったけど、感情は形として現れでない曖昧なものだからこそ事象の結果を見届けたいと考えるのは、理央の性格や思考傾向としては理解できる気がする。シュレーディンガーの理央、面白いな。

自己中心的にも見えるけど、それよりも、自分がどう感じるのか、自分がどういう行動をとるのか、最も把握しづらい自分のことを一番に興味を持っているようにも見えてきた。というよりかは、頭の中に靄がかったような釈然としない状態をあまり好ましく思わない傾向があるのかな。そう考えると、珠生との(2回目の)初対面を霧が晴れたような~とか表現していたことに対しても、なんとなくだけどその感情を理解できるような気がしてきた。


確実性のない妄想ではあるけれど、理央に関してあれこれ考えるのは楽しいな。