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コロナ陽性、地方の事情①〜医療機関は空いていた

東京1週間、大阪2日間の日程を終えて、海辺の街牛窓の家に戻った翌朝、発熱しました。
昨年2021年1年間の激忙を反省し、働き方を変えると決意し、全てのスケジュールを消化して、さあ、これから自分に集中!と思ったまさにその瞬間倒れるという😅
2022年2月2日というゾロ目の日、旧暦のお正月というすごい節目のタイミング、生き方働き方を根本的に見直して新生スタートを切ろうとしたまさにその日にコロナw もうギャグでしかありません。

とりあえず息子に電話連絡はして、「発熱外来行ったら」と勧められ。
第一に岡山県の保健所のHPリンク送ってくれ。そこに載ってる電話に問い合わせたら、最寄りの発熱外来ある病院を教えてもらい。
歩いて30分でも行ける(車がない私にとって歩ける距離がどうかというのは重要)、自転車なら平坦地15分の個人医院が該当することがわかり。
発熱外来は、通常の営業時間(午前中および夕方)を外した昼休み時間に受け付けているとのことで。発熱2日後の2/4に予約をとりました。

熱が出ただけでは、何をどうすればいいか、シミュレーションしたことがなかったので、思いつきませんでしたね。発熱してると思考能力落ちるので、ますます何していいか行動選択できなくなる。
「まず、地元の保健所のHPを見る」こんな簡単なことも、言われて初めて行動できました。
1日目も2日目も熱でフラフラしてたので、受診は負担だったかも。3日目熱が下がってからで、ちょうどよかったです。

牛窓の中心部、1番お店や住宅が固まってるエリアに、病院はありました。こうやって、「自力で受診できる」医療機関があるということは、重要ですね。

発熱外来は、病院の建物の脇の、にわか作りの小屋みたいなのでした。これで、時間帯もずらして、一般の患者さんと接しないようにするんですね〜。

と、思ってたら、ここでもなく、その隣のガレージに診察場所がありました!確かに、吹きっさらしで換気十分ですね。

お医者さんは、ビニールのズボン、ビニールのエプロン、顔面もビニールで覆ってビニールの帽子を被り、全身防護服態勢でした。確かに、この装備じゃ、一般診療の合間にちょこっと、というわけにはいきませんね。
パーテーション越しに、鼻の穴に綿棒突っ込んでグリグリ。インフルエンザの時もやったことありますが、地味に痛いんだよね。我慢しても涙とくしゃみが出て、飛沫飛びまくりです。お医者さんが完全防護するのももっともです。

検査はあっと言う間に終わりました。問診票の記入も、受診料支払いもありませんでした。事前に電話で名前、住所、生年月日などを自己申告してあった、それだけでよいようです。

チャリで15分で帰宅してほぼ同時に、病院から「抗体検査」の結果電話連絡が。陽性だそうです。覚悟はしてましたが、ついに、という感慨です。
その後2日で、PCR検査の結果が出るそうです。抗体検査よりPCR検査の方が精度が高いそうですが、「10中8、9間違いない」そうなので、結果は覆らないと思うことにしました。
息子に報告連絡してるそばから、保健所からの電話が。これからの過ごし方とか、何日まで自宅療養とか、濃厚接触者に連絡とか、いろいろ指導がありました。

東京の友達曰く、東京神奈川あたりは完全に医療崩壊していて、保健所に連絡取れないとか、発熱外来混んでて行けないとか、悲惨な状況なんだそうです。
岡山の地方部は、保健所の電話も通じるし、発熱外来ガラガラ(私だけの貸し切り状態)だったし、ゆとりでした。

友人には、「このタイミングで移住先でコロナになるなんて、流石だ」と褒められました😅
確かに、なぜ医療崩壊してるかといえば、人口が集中しているからです。地方に程よく人間が分散していれば、いろんな問題は起こらなくて済みます。「首都圏一極集中」の弊害あるという感覚、だから地方移住するという発想は、間違ってなかったと思いました。

こうして、コロナ陽性「自宅療養」ライフ始まりました。

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