人間関係の断捨離、始まる

部屋の(モノの)断捨離の真の目的は、心の断捨離です。第一回目から激しく心境の変化を迎えているのですが、全然投稿追いついてません(^^;
「まだ使えるモノ」だったり、「今まで大事にしていたモノ」だったり、価値ある「ような錯覚」を覚えていたモノたちを断腸の思いで捨てまくる心の痛みを経験すると、「もう要らないんだな」「ない方が今の自分にはいいんだな」という感覚がめっちゃ鍛えられます。
その一環で、人間関係の小さなお別れを3つすることになりました。

一人は「私って○○だから」という自分否定が口癖の女性の友人。「そうやって口に出すと、本当にその通りになっちゃうから言わない方がいいよ」と何度も言ったのですが、その度に「分かっちゃいるんだけどね〜」と言う。「私って○○だから」と「分かっちゃいるんだけどね〜」の口癖セットが嫌で嫌でたまらない。
分かってる、「嫌だ」という気持ちは私の中に解消されていない感情があって、彼女はそれを刺激しているだけなんだと。私の心の中がクリアになったら、彼女がどんな口癖を持っていようと、何の気にもならないと。
彼女のことは友人として好き。性格も好きだし、話も合うし、人間としてリスペクトもしてる。その口癖以外に嫌なところはない。でも、今の自分には「ない方がいいんだな」という感覚がわかったので、距離を置くことにした。

もう一人は二言目には前世療法を否定する男性の友人。人にはいろいろな観点があって、彼の持っているスピリチュアル観の中で「前世」が不要なのも分かる。でも私は前世療法が生涯を賭ける自分の仕事で、私のアイデンティティの中で「前世」という概念は外せない。「前世療法」を否定するということは、私という人間を否定することと同じ。
それどころか、まだあまり普及も理解もされていない「前世」という切り口を使うことによって、もっともっと私たちの心の真実が明らかになり、幸せな生き方ができる、ということがどんどん解ってきて、「今は分かってくれないよね、それは仕方ないよね、でもいつか分かってくれたらいいな」というスタンスで生きている。私にとって、一番大切にしているもの。
もともとは、彼のことが大好きで、深く尊敬していた。「憧れ」に近い気持ちもあった。だから、彼の否定がとても悲しく、傷ついた気持ちになることが続いた。そして「過去」を整理する中で思い出した、これは繰り返すパターンなのだと。「憧れて尊敬する男性から否定されて傷つく」。これは私と父との関係なんだね。そこが解消されていないから、彼が現れたんだな、と気づく。その中に、私の側の「買いかぶり」と相手の側の「嫉妬」があることもほの見えた。
いずれにせよ、私の残りの人生で、「前世療法を否定する人」とはもう付き合わないことにした。もちろん、自分以外の考え方を受け入れないという意味ではないけれど、「友人」にはならないという意味。

そして、たびたび私のブログに罵詈雑言をコメントする匿名の人。「承認して公開」制にしてるので、そのコメントがブログ上に上がったことは一度もないんだけど、来るがままに任せて放置してた。
ふと「これも要らないかな」と感じて、せっかく「ブロック」という機能があるのでブロックした。まあ、病気レベルだよね。病気の人に付き合うことはないかな。
一度ブロックしたら、別IPアドレスでまた来たので、マスキングという機能でさらにブロックした。また来るかもしれないけど、来たら来たでその時考える。あまりひどかったらAmebaに相談してみようかな。

名刺や年賀状を処分して、人間関係にも旬や潮時があるんだな、ということを感じた。過去仲良かったとか、これから役に立つかも、という観点で考えなくていい。関係性は固定したものではなく、流動的なので、離れていくということを悲しまなくていい。仲良くなるかも、と出会っても、その後展開しなかったら流していい。そういう人たちとも、また時が経って、違うところで違う形で出会って親しくなるかもしれない。その時に仲良くすればいい。とにかく、「今」大事な関係だけ残す。
自分さえ確立していれば、どんな人と接していても揺るがないことは分かるけど、現時点での私はまだまだ未熟なので、自分を揺らす人や引きずり下ろす人は近くにいなくていい。跳ねのけるとか追い払うとまではしなくていいけど、そーっとフェードアウトしていい。
人生は有限。私も、間違いなく人生の「後半」に来てしまった。残り少ない時間は、「どうしても一緒にいたい」人たちとだけいればいい。

そう決めてみたらなんだかすっきりした(笑)。たった3人だし、表面的には大した変化はないけどね。

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