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誕生日 23 (日記) 12/8

誕生日の日はとにかくバタバタしていた。
12/7 親知らずの抜歯をする証明書を無くしてしまったのだ。
親知らずを抜かないと、矯正の手術はできないし、少し親知らずの抜歯を楽しみにしていたから、2時間ほど12/7の22時から必死に探した。
2時間前に部屋を綺麗に片付けたのに証明書を探すために、部屋をまたひっくり返し、いろんな棚をぐちゃぐちゃにした。
最悪だ。
見つけられたが、さっき綺麗にした跡形も無い。
見つかったのは23時45分頃。
やっと見つけてホッとしたし、疲れた。
お風呂に入ってスッキリしてあがったらもう誕生日で0時15分だった。
こんな形で誕生日を迎えるとは、思っても見なかった。
LINEを開くと、友達から誕生日ラインが来ていて返事を返せねば、インスタのストーリーも挙げようとあたふたしていた。

大学の友達で同じ誕生の人がいるため、盛大に祝おうとインスタのストーリーをこだわった。

そして、全てやり終え、やっとその日に買ったりんごの酎ハイを飲んだ。
誕生日の始まりである。

酎ハイを飲んでから、何もやる気が起きず寝た。
誕生日12/8は、金曜日で1限から授業がある。
1限の授業はもう4回も欠席していてもう欠席や遅刻をしたら、単位がもらえない教科だ。
1限に行くには、6時40分に家を出なければ行けない。
誕生日だし、遅刻や欠席をしたら最悪なので6時に目覚ましをセットした。

目覚ましをセットしたが、寒すぎて布団から出られなかった。どうにか起きて時間通りに出れた。

電車に乗り、Apple Musicでシャッフルして音楽を聴く。これが日課だ。
誕生日に聞いた初の音楽は、平井堅「ノンフィクション」だった。感慨深い思いで音楽を聴いた。

大学に着くと、1限の授業を一緒に受けている2年生の後輩がいなかった。
金曜日の1限の授業は、いつも寝ていて板書も全然できていないが、誕生日だからかウトウトしながらでも全て板書を書ききれた。奇跡だ。

なんて書いてあるかわからないところもあったけどね。

2限に卒研をしようと思ったが、他の人が使いたい顕微鏡を使っていたため、2限は空きコマになった。

空きコマになったのでまず学食で早いお昼を食べた。
その後、図書館で12/10の試験に向けて勉強しようと思ったが、U-NEXTで韓国ドラマ「メランコリア」を見てしまった。

1時ごろに、友達の研究室に行くと友達が卒研をしていてラーメンを作っていた。
それも私が一番好きな味噌ラーメンだ。
試食させてもらったが、お昼ご飯を食べてしまったし、3限は卒研のため長居はできなかった。もっと味噌ラーメンを食べたかった。
学食に行かないでここでタダ飯にすれば良かったと後悔。
ラーメン屋を開くことができるレベルの味だっだ。

3限は卒研をして、4限は、微生物学の授業だった。4限の微生物学はほとんど寝てしまった。
いつもだ。

4限が終わってからは、いつもは真っ直ぐ帰るが、習い事(フランス語)の月謝を払っていなかったため、市ヶ谷に向かった。
ただ、月謝を払って帰るつもりだったが、先生に音読だけしていけばと言われ、音読だけして教室を後にした。

12/8は、母も父も帰るのが21時くらいで遅かった。
その為、夕食は自由だった。
市ヶ谷のドトールでジャーマンドックを食べた。高校生、短大の時よく食べてて懐かしさを感じた。店内は、閉店間近のため人が少なく、ラストクリスマスがかかっていた。
もうクリスマスかと思いながら食べた。

帰り際、本屋に寄って自分の誕生日プレゼントを買おうと読みたい本を探した。30分くらい。2冊買って一つは青い包装紙で包んでもらった。誕生日に買った本は、「数学と人間」という本で韓国ドラマ「メランコリア」に影響されて買った。
数学は嫌いだけど、好き。
矛盾しているが、こういうこともある。
答えをはっきり出すのが好きなのだ。
答えが出るとスッキリするしね。

本屋を出て、総武線に乗って帰った。
総武線は、結構好きな路線だ。
車窓から大きな川や川のほとりのレストラン、観覧車、東京スカイツリーが見える。
他にも車窓からビルの中の洒落たBARや秋葉原のビルの大戸屋にいる人を見るのがとても面白く好きだ。
でも、一番は東京スカイツリー。
スカイツリーを見るとなぜか安心する。
その日のスカイツリーは、クリスマスカラーで緑色だった。ラッキーだった。

自宅の最寄駅に着いて誰かに会わないかなと少し期待したが、誰とも会わなかった。
ドトールでジャーマンドックを食べたせいか、お腹が空かず、家に帰って7日に買ったほろ酔いのクリームソーダサワーとチータラを食べて12/10の試験勉強をしなきゃいけない罪悪感を持ちながらダラダラして誕生日は終わった。
なんか呆気ない2023だった。

私は、誕生日が近づくとため息が増える。
理由は、自分が一生懸命努力してきたか、満足した生活を送れたか自信がないし、自分で頑張っていなかったという気持ちが大きいからだ。
私は、頑張る=勉強を頑張ることという思考が染み付いているため、落ち込むことが多い。
勉強できるようになりたいけど、したくないという気持ちがあるからだ。高校生の同級生はよく知っているようにね。
だけど、今年やっとその考えから少し脱することができた。
自分は頑張っていた、頑張っていると少し思えたのだ。 
今まで連絡をとって来なかった友達に積極的に話せたこと、大学で友達ではない後輩に混ざって授業を受けて話しかけたこと、意見したこと、人に優しくしようと心がけたこと、大学に2時間かけて行っていること、寝坊での授業の欠席に罪悪感を抱くことなど。いろいろ。
こんなの序の口だと思っている人は、私よりとっても頑張っている人なんだと思う。
頑張る=勉強を頑張るという考えがずっと染み付いていたが、少し脱することができた。

年齢が変わっても何も変わらないが、私は毎回1cm高い階段を登っている気がする。
そして、背筋が伸びる。
とにかく23歳も生きよう。
自分がどんな道に進むのか、恋人はできるのか、気になるが、とにかく生きるしかない。
自分磨きを心がけて。
髪を肩まで伸ばすつもりだ。

追伸:親知らずは楽しんで抜かない方が良い。
後がきついから。

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奥田民生「さすらい」を聴いて締め括ろう。



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