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Light house|マームとジプシー

マームとジプシーの新作『Light house』。2月末に観劇の予定がコロナ事情で中止になり、ねばったが結局見逃してしまった。それが4月になり劇場を変えて再演されるということで、何度目かの正直で初日に行ってきた。(以下は特設WEBサイト)

演劇に縁がなかったわたしに友人がマームを紹介してくれたのは2014年だった。その時は藤田貴大さんが野田秀樹の『小指の思い出』を演出する舞台を観たのだがすっかりハマってしまい、以来その人とはマームの芝居を数えきれないくらい観に行った。今彼女ははたらきながらふたごの子育てという大仕事にも取り組んでいる。なので私はひとりで芝居を観に行く。

lighthouseは灯台をあらわす言葉だ。light houseは灯台をあらわすが、灯のついた家かもしれない。四人の若者はきょうだい同士・いとこ同士。母とそのきょうだい、祖母が出てくる。祖母の家の食卓での会話。「あの日の朝食」「あの日のランチ」の記憶や会話がリフレインしながら編まれ、解され、その記憶は正しいのかという問いがうまれる。

卵焼きは甘い。トマトには砂糖をかける。シチューは食パンを浸して食べることもあるが、基本的には白飯のおかず。おでんもおかず。天ぷらは天汁で食べてもいいし、ブルドッグソースをかけてもいい。これは私の家の「ふつう」だ。あなたはどうだろう?

友だちと弁当のおかずを交換することになり、しょっぱい卵焼きを初めて食べたとき驚いた。「トマトに砂糖をかけるなんて変だよ」と言われたとき、「うちはこれがふつうなんだけどな」と思った。確かにそう思った。それがこの芝居では本物のこととして語られていることがとてもいいと思った。

二日目の筑前煮、二日目のナムル、二日目のカレー、二日目のピザ。二日目のピザについては私は完全同意だ。ピザーラのイタリアーナLサイズを頼んで、その日は夫と4切れずつ、熱々のを食べる。4切れ余る。サランラップで2切れずつ包んで、翌日20秒だけチンして食べる。そのキャラクターは「ピザが一回冷蔵庫で死ぬんだよ」と言っていた。死んだと思ったことはないけど、二日目のピザはおいしいのだ。

忘れてはいけない、この芝居は沖縄を舞台にしている。沖縄に水納島という離島がある。この島の水事情をはじめとする歴史は橋本倫史さんの『水納島再訪』に詳しい。

今回の芝居は沖縄にできた劇場「なはーと」の柿落とし公演として作られたものだ。藤田さんには重要な作品として『cocoon』がある。今日マチ子さんの漫画作品が元になっている。今作では、沖縄の外部の者として緊張感をもって制作したことがインタビューでも語られていたが、当日パンフレットに列記された「引用文献」「リサーチ協力」の一覧を見てもそれがよく伝わってくる。

すべてのシーン、すべてのモチーフ、すべてのセリフが心に留まっている。いつものマームと少し雰囲気が違うなと思った舞台美術も、実際役者が入って動き始めると違和感は霧消した。違和感の正体はプラスチックや発泡スチロールで埋め尽くされた真っ白な空間だった。あれはいろいろな問題を暗示していたと思う。そしてその中に生きた役者が飛び込み、彼らのまとったとても綺麗な色をした衣装が生き物の息吹を感じさせた。

『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』へのアンサーとも取れるラストシーンは、私の目耳にもあかりを届けてくれた。

さて、あとはじっくり熟成させてみる。観劇直後の感想文おわり。

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