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いまウクライナで行われている戦争について

2月24日(仮)にウクライナで戦争が始まってから2ヶ月、ずっと苦痛だった。SNSでも、テレビでも、戦場の様子や市民の死を伝えるニュースに触れ続けていたからだ。これに耐えきれない人は多いだろうと思う。自分の精神の安静を優先して目や耳を塞いだ人を非難するつもりはない。私も見たくないものは見ないようにした。聞きたくない音は聞かないことを心がけた。そのかわり距離をとって遠くから観察してみる努力を続けてきたつもりだ。

前半に私自身の反省を書く。後半で今考えていることを書く。

これまで

自分がこの世界のいとなみに参加するようになってからというもの、世界は紛争や戦争やテロリズム、核の脅威に満ちていた。
私が学校で受けた教育によると、日本は第二次大戦後、アメリカの占領と民主化政策を経て「戦争放棄」した。「核兵器を持たない、作らない、持ち込ませない」非核三原則を表明した。でも、日本には米軍基地があり、自衛隊があり、原子力発電所もある。憲法を変えることが目的の党が支持を集め、与党の座についている。
そもそも日本が経済復興を果たしたきっかけに朝鮮戦争での軍事特需があげられたのを聞いたときに最初の違和感を感じた。自分が学校で学んでいることはいったいどういうことなのか、当時はわからなかった。何もかもが矛盾しているじゃないかと思った。

1989年は冷戦終結の始まりの年だ。ドイツではベルリンの壁が崩壊し、マルタ会談で冷戦の終わりが宣言された。世界で民主化が加速し、1991年にはソ連が消滅した。ワルシャワ条約機構という東側の軍事機構は解体したが、対するNATOはじわじわと大きくなっていった。アメリカは東欧、中東、アフリカなど世界のありとあらゆるところで戦争をしたり、他人の国に武力介入してめちゃめちゃにしたりした。対テロ戦争は欺瞞だったことが今では明白だ。

これらの戦争がテレビで報道されるのを見るにつけ、若かった私は「ひどいし気の毒だけれど自分とはあまり関係のないこと」と思うことで本質へたどり着くのを拒んでいた。知ったところで自分には何もできないのだから、知らない方が楽に生きていけるはずだと信じようとしていたのだ。
私に興味があることといえば、太平洋戦争での沖縄戦の悲劇、ナチスによるホロコースト。もう終わったはずの過去のことが中心だった。大学生になってやっと第一次世界大戦や大日本帝国のアジア侵略や戦争責任にも目が向くようになり、スペイン内戦について調べたり、ユダヤの歴史について学んだり、卒業までには1990年代初期の東欧の民族紛争にも関心を向けられるようになった。そして「アメリカとは何か」という問題が徐々に自分の意識の中で顕在化し始めた。

とにかく世界は戦争にまみれていた。見たくなかった。2021年も終わりかけた頃からウクライナとロシアのニュースが増えてきたが、この時点でもまだ私はおよび腰だったのだ。「北京オリンピックが終わるまでは戦争は起こらないだろう」「ロシアはウクライナに攻め込まないだろう」というニュースが日に日に増えてきた。それでも私は楽観論に期待し、何が起こっているのか詳しく調べようとしなかった。

いま

そして2月24日、ロシアがウクライナに侵攻開始という速報が届いた。私はショックだった。何に対して? 本当に戦争が始まってしまったことに対して。同時に、これまでの戦争についてあまりショックを受けてこなかった自分の無関心さに対して。もう見て見ぬふりをしても自分が幸せに生きていけるとは思わなくなった。周りの人と手がかりをシェアし合いながら(実際にはほとんど情報をもらいながら)、やっと私も調べ始めた。

「21世紀にこんなことが許されてたまるか」「この時代にこんなことが起きるなんて」というコメントが紋切り型的に語られている。これが21世紀になって初めての戦争だなんて、どの口が言っているのかと不思議だ。今私たちが過去の時代の出来事を分析したり評価したりするように、未来の世代から今を見たらどう評価されそうか考えてみたらいい。

ところで、なぜウクライナとロシアの間で戦争が始まったことに私はこれほどショックを受けたのか。それはすぐにわかった。メディアの報道の仕方がこれまでとは明らかに違うからだ。ウクライナ市民や難民のインタビューで視聴者の感情を揺さぶり「ロシア憎し」を煽り立てる。
「速報」の頻度が異常に多い。「ロシアがどこどこをミサイル攻撃」「民間人何名がロシアの砲撃によって死亡」「キーウ近郊の町どこどこで市民大量虐殺」何でもかんでも「速報」だ。本当にその情報は正しく真実で、検証済みなのか。人から聞いたことの横流しのように感じることもある。それで人間関係がおかしくなるのを何度も見たことがあるので、それを国家レベルでやるというのはどうかと思うが、本当だと言い続ければ嘘が本当になってしまう世界でもある。
そして異常なほどにウクライナに寄った言説が撒き散らされていることにも強い違和感をおぼえた。ゼレンスキー大統領の国会演説中継が最たるものかと思うが、日本の国会議員たちのスタンディングオベーション(プログラムに記載あり)を見て思わず苦笑してしまった。

戦争は2月24日に突然始まったわけではない。2014年のウクライナで起きたクーデター、ドンバス地域での内戦がどのような経過をたどり、今に繋がっているのか。ゼレンスキー政権の実情について。何人かの聡明で公平な知識人や市民たちがそれを明らかにしてくれている。テレビを見ているだけの人には信じられないかもしれないが、当然のごとくプロパガンダはロシアだけが使う手法ではなく、事実は事実として受け入れた方がよい。その情報を正しいと認識したければどんなバイアスがかかっているかを念頭におく必要がある。一つの事象をさまざまな角度から論じた意見に複数触れた方がいい。
この戦争をロシア対ウクライナと単純に捉えては間違う。これはもっとも狭い視野でしかない。メタ視点で事実や構造を見極める必要がある。

最近日本では、ウクライナがSNSで公開した動画でヒトラー、ムッソリーニにならび昭和天皇のイラストが並列されていたことに抗議して削除させた問題や、「ウクライナが感謝する国」に日本が入っていないのはけしからんという騒ぎが起きた。じつに恥ずかしいことだ。今からでも議論を尽くし、歴史修正主義的な言説を批判し乗り越えていく必要がある。
教育によって日本国民の歴史認識を歪めるのに成功したとしても、外国はどう評価し判断しているかを無視したらどうなるか。こんなことでは、隣国の反日教育やロシアの国内統制を批判する権利は日本人にはない。

このようなことを最近の私は考えている。

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