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続・生まれ、産んだ。

初産にもかかわらずすごいスピードで出産を終えて、わたしは引き続きの処置を受けている。赤ちゃんが出てきたあとには胎盤が出てくるのだ。

夫の立ち会いのほか「写真や動画を撮りたい」などとバースプランにはいろいろ書いていたのだが、夫の立ち会いがギリギリ間に合わなかったから自分で動画を撮った。
メタデータを見ると出生時刻の2分後になっている。動画には胎脂を拭いてもらったり、チューブを口に突っ込まれて羊水を吐き出させてもらったりしている姿がおさまっている。撮った自分グッジョブ。

泣きかたが下手くそなのがとんでもなくかわいい。「オギャー」ではない。「ウワー」「アワー」「アァァー」と聞こえる。

看護師さんが撮ってくれた写真も夫に送る。これがおなかのなかにいたんだということ、頭ではわかってるけど実感がない。ずっと見ていたエコー写真や、つねに感じていた胎動との接続性がうまく感じられないのだ。

生まれてから20分ほどで夫が到着した。いろいろあって母に夫と合流してもらったが、母はコロナ対応の毎朝・晩の検温をしていなかったのでLDRには入れない。入り口の外から「エリ、おつかれさま〜」と声だけが聞こえた。

この時わたしは裂けた会陰を縫合されている真っ最中。
月経があり普段から血液を見慣れている女性とちがって、一般に男性とは血が苦手なものだという先入観があった。立ち会いを希望しても、陣痛の痛みに苦しむ妻や羊水のにおい、出血に耐えられずに退出する夫もいると聞いた。わたしの夫もそんなタイプかもしれないなと思っていた節があったので、患部を凝視する彼を見て意外だった。
いわく「ぱっくり裂けて肉が見えてた」とのことだ。

ちなみにお産の進みが速かったせいか出血量が多かったらしい。後日、母子手帳への記入事項の説明でそう聞いた。

余韻に浸りながらややこの姿を動画に撮ったり、今日一日の話をしたりしながら過ごしていると、誕生から一時間後にカンガルーケアをできることになった(事前に同意書を提出していた)。
わたしの身体のうえに迎えると、ややこの身体の重みとやわらかさが伝わってきて次第に現実味を帯びてくる。前ボタンをはだけ、うつ伏せにさせると乳首を探して顔を動かす、生きるために備わった本能。やわらかすぎて、支えようにも力加減がわからない。この愛おしすぎる存在はなんだろう

その後ややこは服を着せてもらい、記念写真を撮ってもらう。わたしは熟睡できないまま早朝から起きているので眠気と疲労がピークに達し、表情にもそれが出てしまった(髪はボサボサだし当然のごとくすっぴんだし、見返したいけど自分の醜さが毎度気になる)。
首のすわらない赤ちゃんを抱くのにいつもすごく緊張していたのに、自分の子は自然に抱っこできた。身体が勝手に動いた感じ。いっぽう、夫の抱き方はぎこちなさすぎて笑えた。

夫の面会時間には制限があったが、なんだかんだゆっくりさせてもらったと思う。
出産から約3時間後、わたしは麻酔が切れて縫われたところが痛いのと眠いのとで、来てくれた夫には申し訳ないけどそろそろ帰ってもらいたいなと思い始めていた(笑)。でも夫はいつまでも名残惜しそうにしていた。

夫の退出後、わたしはLDRにややこと二人きりになった。まもなく夕食の時間。お昼はほぼ食べられなかったけどさすがに完食。その後、助産師がわたしにベッドを降りて歩けるかたずねた。全く問題なかった。産後はふらついて倒れてしまう人もいるそうだ。ピンピンしている自分をやたら頼もしく感じる
尿もしっかり出た。ただし血が混じって真っ赤だった。

LDRにはシャワーもついていたし、服を収納するためのクローゼットもあった。
病室(正確には、出産は病気ではないので「回復室」)に移動する際、ここにしかないからとアメニティの入った巾着袋を手渡された。陣痛からお産が始まった人はもしかして、この部屋でシャワーを浴びたりして過ごすのだろうか。破水から始まり、ホルモン剤のおかげであれよあれよとお産が進んだわたしには想像もつかないけど、10分間隔で陣痛がきてる人でもシャワーが浴びられるくらい余裕なものなのだろうか。わからない。
退出時の部屋チェック時、わたしのいた痕跡はベッド周りにしかないのだった。

荷物をまとめるように指示され、ふたたびややこと二人きりのわたし。コットに寝かされたややこは両目に結膜炎予防の軟膏を塗られ、泣いたり、すぐに疲れて眠ったり。かわいすぎるので写真や動画を撮って夫に送った。
母子同室なので一緒に部屋に行くのかなと思ったら、今日は新生児室であずかりますねと言われ少しホッとした自分がいた。夜二回ほど授乳に行き、23時〜7時まではまとめて休むことができた。

これから赤ちゃんのお世話が待ったなしで始まることに少しだけ怖さを感じた出産当日だった。

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