見出し画像

奥多摩の中世城郭2 水根の城山

 東京都の最深部、奥多摩に中世城郭遺構が多数存在することは余り知られていない。その多くは山深い処にあり、踏査に困難を伴うためである。また、遺構の中には奥多摩湖の湖底に沈んでしまったものさえある。ここ数年、数寄者を自認する筆者は奥多摩町の中世城郭遺構を何か所か踏査した。その知見を公開して研究の深化に期待したい。 

 さて、2つ目に取り上げるのは「水根の城山」である。奥多摩駅から石尾根を登ること3時間、標高1500mの高山にある。こんな高山に城郭があることが信じられないのだが、「城山」地名が残っていることと、何より明瞭な遺構の存在から城郭遺構であると考えられる。

 ここを城郭遺構として最初に紹介したのは『城郭大系』である。しかし、城郭分布図に示されている地点と本文で示されている地点が異なるなど、かなり雑な扱いを受けている。

 また、『東京都の中世城郭』においても、麓の地名が転化したものではないかという推測がなされており、遺構については触れられていない。

 しかし、近年になってネット上で踏査された方の報告が投稿されるようになり、その存在が知られた。(聞くところによるとそれ以前に遺構を確認した研究者もいるそうである)

 以下に当城の縄張図を示しておく。

図1 水根の城山 縄張図(筆者作成)

 2条の堀切が以降のほぼ全てだが、どちらの堀切も明瞭で、切通などとは考えられない。城とみて間違いなかろう。なお、先端の曲輪にある虎口状の部分は後世の改変かもしれない。 この高地に城が構えられた理由として、いろいろ考えられることはあるがいずれも推測の域を出ない。 さて、最後にこの城への行き方を簡単に記しておく。青梅線奥多摩駅で下車し、三田羽黒神社から石尾根登山道をたどり、六ツ石山から先は巻き道ではなく稜線上の道を進む。将門馬場を通り過ぎ、一気に登りきると水根の城山だ。あまりにも山深いところにあるため、健脚の山慣れた方のみ行くことをお勧めする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?