ようかん

主に中世城郭に関する覚書/Twitter:@Erectus_ST

ようかん

主に中世城郭に関する覚書/Twitter:@Erectus_ST

最近の記事

奥多摩の中世城郭3 川野城山

 東京都の最深部、奥多摩に中世城郭遺構が多数存在することは余り知られていない。その多くは山深い処にあり、踏査に困難を伴うためである。また、遺構の中には奥多摩湖の湖底に沈んでしまったものさえある。ここ数年、数寄者を自認する筆者は奥多摩町の中世城郭遺構を何か所か踏査した。その知見を公開して研究の深化に期待したい。  3つ目に紹介するのは川野城山である。川野城山は旧小河内村の川野集落に存在が伝承されていた山城で、多摩川に張り出す尾根上にあったとされる。安藤精一『奥多摩歴史散歩』に

    • 奥多摩の中世城郭2 水根の城山

       東京都の最深部、奥多摩に中世城郭遺構が多数存在することは余り知られていない。その多くは山深い処にあり、踏査に困難を伴うためである。また、遺構の中には奥多摩湖の湖底に沈んでしまったものさえある。ここ数年、数寄者を自認する筆者は奥多摩町の中世城郭遺構を何か所か踏査した。その知見を公開して研究の深化に期待したい。  さて、2つ目に取り上げるのは「水根の城山」である。奥多摩駅から石尾根を登ること3時間、標高1500mの高山にある。こんな高山に城郭があることが信じられないのだが、

      • 奥多摩の中世城郭1 栃久保の城

         試みに投稿してみた記事が問題無く表示されている。良かった。  さて、東京都の最深部、奥多摩に中世城郭遺構が多数存在することは余り知られていない。その多くは山深い処にあり、踏査に困難を伴うためである。また、遺構の中には奥多摩湖の湖底に沈んでしまったものさえある。ここ数年、数寄者を自認する筆者は奥多摩町の中世城郭遺構を何か所か踏査した。その知見を公開して研究の深化に期待したい。  なお、筆者の記述は覚書と言うのがしっくり来るようなもので、正確性を絶対に保証できるものではない

        • 凡例

          筆者の文章の凡例。随時編集する。参照頂きたい。 1 掲載・引用した史料・図・表には、必要に応じてタイトルを付す。また、許可を得て引用したものは、タイトル横に出典を記す。 ※図表には番号も付す必要があるのですが、厳密な論考ではないので省いております。  (加筆)1 写真は断りのない限り筆者撮影 2 掲載・引用した縄張図の描法は、本田昇「中世城郭の調査と図面表現」(『中世城郭研究』創刊号、1987年)および千田嘉博、小島道裕、前川要『城郭調査ハンドブック』(新人物往来社、19

        奥多摩の中世城郭3 川野城山

          テスト投稿;三鷹跨線橋

          令和5年12月4日 テストです  ちかぢか解体されるというので、三鷹の跨線橋に行ってきた。三鷹駅の少し西、車両基地を跨ぐように掛かっている古い跨線橋だ。  僕は三鷹駅の北口を出た。東京の冬は始まったばかりで、駅のロータリーの木々はまだ紅葉していた。北口駅前のバス停からは墓地行きのバスが出ていて、右手には花屋があり、髪の後ろの方を金髪にした若い女の店員さんが花の手入れをしていた。僕は玉川上水に沿ってしばらく歩き、中央線沿いの道に移ってもう少しあるき、跨線橋の袂まで歩いてきた

          テスト投稿;三鷹跨線橋