大阪コリアンタウン歴史資料館
大阪コリアンタウン歴史資料館に行ってきた。
大阪コリアンタウン歴史資料館とは
大阪コリアンタウン歴史資料館とは、大阪鶴橋にある資料館、いわゆる「在日」をテーマとした博物館である。
かつて、朝鮮半島から日本へ多くの人が出稼ぎにやってきた。彼らは同郷の人々で集まり、コリアンタウンを形成した。大阪では鶴橋周辺がそれである。
在日関連の書籍を展示し、閲覧スペースを設けているところは、ミュージアムというより図書館に近いかもしれない。
普段なかなか扱われない歴史であるがゆえに、面白かった。
失われた知名
かつて鶴橋には猪飼野という地域があった。地名の由来は、豚を飼う土地という意味である。
日本に朝鮮半島の人々が出稼ぎに来たとき、多くの人が猪飼野に住み着いた。特定の国の人がよその国に移住するとき、同じ国の人同士でまとまって住むことが多い。同じ文化の人同士で助け合えるからだ。
本人が出稼ぎに来たり、あるいは故郷の親族を呼び寄せたりして朝鮮の人々は住み着いていった。
日本と朝鮮の文化が交わるところ
在日の人々の文化についても触れられている。もちろん朝鮮半島の文化がベースではあるのだが、日本に移り住むことで変わったところもある。
面白いのが神道の扱いである鶴橋ではもともと神社があったが、そこに祭られている神が渡来人由来だったことから、自分達のルーツのひとつとして扱われているようだ。
朝鮮を占領していたときの神道の悪いイメージがあったので、この情報は新鮮だった。
地元のお祭りには、コリアン系日本系問わず参加するそうだ。
また、中華料理屋でウエディングドレスを着て結婚式をする人々の写真もあった。朝鮮風なんだか中華風なんだか日本風なんだかわからない光景である。
招待状に返事をしないまま結婚式に突然参加することがあったらしく、突然人が増えても大丈夫な中華料理店で結婚式を上げる文化があった。今もやっているのかはわからないが文化というものは混ざっていくのだなあと思う。
仏教と儒教、それから土着の信仰が交じり合って何教とも言えない文化である。
自分のルーツを隠す人々
在日の人々は、日本の人々と見た目はあまり変わらない。そのせいか、自らのルーツを捨て、日本人として生きていく人も少なくない。
世代交代で文化が変わっていくことは、仕方のないことではある。
ただ、自分のルーツを知りながら、そのことを話すのが不安である、ということは大変だろう。
私は大阪生まれ大阪育ちだが、祖父母は鳥取から職を求めて出てきた人たちである。そのことは別に隠すようなことではない。
特定の人だけが差別を恐れて素性を隠さなければならない、というのはフェアではない。
正直、当事者からはもっと洒落にならないような差別を聞いたことがあるので、資料館の内容はかなりマイルドになっている気がした。
しかし、あまり際どいことを言うとそれを根拠に「差別は仕方ないことだ」と言ってくるやつがいるのでそうそう言えないのだろう。
私も学生時代にコリアン系の人と何人か友人になったことがある。その人たちが元気でやっているか、ヘイトスピーチにさらされていないか思いを馳せてしまった
いろいろしんみりしながらミュージアムグッズを見たら、売っているクリアファイルが韓国語での家族の呼び名一覧で笑いながら買ってしまった。
文法や語順はかなり日本語に近いのに、家族の呼び名となると海を隔てただけでここまで変わるのは、とても面白い。
日本も叔父と伯父、従兄弟と従姉など、わりと家族の呼び名を区別する方ではあると思うけど、上には上がいるものだ。
補足しておくとこれ以外はとても真面目なミュージアムグッズばかりだった。
しかし、韓国でのジェンダー問題をときどきニュースで見るたびに、家父長制が強い国なのだなあと思っていたが、これを見せられるとなかなか「家父長制やめよう!」みたいに切り替えられないのもわかる。
別に特定の国の人がばかだというわけではない。ただ地域に染み付いた文化を変えるには、すごく時間がかかるし、大きなきっかけが必要でもある。やめようと言って突然やめるのは難しい。
他雑多
コリアンタウン歴史資料館は駅からものすごく遠く、地図の中でもわかりにくい場所にあるので行くのが大変だった。
ただ、この資料館を目指すのをきっかけに久しぶりにコリアンタウンを歩けたところはよかったと思う。
KPOPを始めとする韓国発のカルチャーが、コリアンタウンを変えている。アイドルグッズの店が増え、輸入文房具や韓国で流行っている食べ物の店がある。
資料館にあった感想ノートをのぞくと、日本全国からコリアン系の人々がやってきていることがわかった。東京からも多くのコリアン系の人々が来ていた。
コメントには悲しい過去を吐露する人もいて、つい読み込んでしまった。
真夏なのもあり、「ミュージアムに行こう」シリーズの中ではかなり行くのが大変だった場所だったが、行ってよかった。