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整える

以前からテレビは見ていなかったのですが、ネットニュースやサブスクでドラマやバラエティー番組を一部見ていました。

あとは、YouTubeなども特にすることが何もないときは、本当にだらだらと流し見していたのです。

しかし、断捨離を行った後から、それらに全く興味がなくなり見なくなりました。
それどころか、依存症かと思うほど、常に手から離すことが出来なかったスマホも、今は用事がない限り見ることもありません。

これは一体どういうことでしょう。

理由は全く分かりませんが、断捨離後から全方位でよい環境にしたい気持ちがむくむくと湧き上がり、

部屋で流す音楽にも気を付けて、見た時に、運気悪そうだなと思ったり、よい気持ちにならないものを周囲から徹底的に失くしていきました。

もちろん、関わる人も関わり方を考えるようになったのです。

それは私にとって何が幸せなのか、そして、私が幸せと感じる環境に身を置くと決めたということになります。

100%自分が望むような環境は難しいかもしれません。
人によっては家族や職場の人、今ある環境から離れることはできない場合もあります。

また、持ち物や音楽も、自分は見たくない、聞きたくないものでも、そうせざるを得ない環境に身を置くこともあるでしょう。

では、そのような場合どうしたらいいのでしょう。

まずは自分を整えることからすればいいと思います。
周囲の人を変えることはできませんが、自分を変えることはできます。

例えば、自分の机の上はきれいにしておくとか、一人の時間や、空間だけは心地良い状態にするとかで、その時に常にBetterではなく、自分Bestの状況にしておくのです。

私の場合、どこか自分をいつも置き去りにしていたなと思って、メンテナンスも断捨離と同時進行で徹底的に行っていました。

病院に行ったり、髪を切ったり、
あとは使っていたものも布団をはじめ、衣類も含め、ほとんどの物を一新させ、小さいことだと、ポーチのファスナーの取っ手が取れていても、使えるから使っているみたいな(笑)壊れたものをそのまま使うのをやめました。

古い家電は一部残っていますが、住む場所と自分以外はほぼ新しくなりそうです。

『まだ使えるから』

という発想は、なかなか強敵です。
使えるのにもったいない、って思ってしまうんですよね。

だけど、その『もったいない』心で、
これは一体何年使っているのだろうみたいなものはたくさんあって、

おそらく、その物たちも、
『もう十分頑張りましたよ』って言っていると思うのです。

自分の生活を整えたことで、スマホ依存や動画をみることから離れたということに、なにか因果関係があるのかはわかりませんが、心にゆとりも出てきたなとも思います。

物の限界点が人それぞれなので、わかりにくいのですが、
私のように壊れていても使っている人もいれば、ある一定の時期が来たら交換するって言う人もいると思います。

ただ、今回感じたのは、直接身体に触れるものは食べ物に賞味期限があるように、自分の中で一定の期間を設けて、それを越えてしまったら、使える物でも交換しようと思いました。

整えるということは、結局自分を大切に生きるということだなと感じました。
おそらく、みんな人には優しいのです。
ただ、自分に厳しい。

人には懸命に与えようとするけれど、自分に与えるのに躊躇する人が多いのではないでしょうか。

日本人の9割が、お金にブロックがあると言われていますが、受け取ることに戸惑ってしまうこともあるでしょう。

自分を愛するということは、何か特別なことをするのではなく、私が心地よく生きるためにお世話をすることだったのだと、整えてから気が付きました。

いかがでしたか。

今日もお読みいただきありがとうございます!





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