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空にする

頭の中には思考を、心の中には感情をぎっしり詰め込んではいませんか。

お部屋の中はどうですか。
表面的にはきれいに見えても、戸棚や引き出しの中はどうでしょう。

カバンにもギューギューに物が詰め込まれていませんか。

財布にはいらないレシートがたくさん入っていませんか。

私達は、気が付かないところに、いろんなポケットを持っています。

自分にしか見えない小さなポケットや、心の戸棚の中に、たくさんのものを密かに詰め込んでいます。

それも始めは、小さなポケットに詰め込めるぐらいの量だったのに、段々と入れるものが増えてきて、外に溢れ出てしまう。

戸棚や引き出し、お部屋もいっぱいになって、溢れ出てしまうのです。

毎回お腹いっぱい食べていると、胃腸は休む暇がありません。

食べ方に気を付けたり、時にはお腹を空っぽにして、胃腸を休ませることは、本来の胃腸が持つ消化能力を高めるのに良いと言われています。

私は時々、人間は実は空っぽなのではないかと思うことがあります。

空っぽと言うのは、そのままの通り、中身のないただの器です。

その器の中あるのは、果てしなく広がった宇宙で、その宇宙は『空』、
空っぽなんだと思います。

そして、宇宙の中でビッグバンが瞬間瞬間に起きており、エネルギーが生まれて、身体の外の現実世界を創り出す。

だから、空間に別のものをぎっちぎちに詰め込んでいれば、空間を知ることが出来ず、本来の能力が発揮できないのではないかと思うのです。

その宇宙を『空』にするためにはどうしたらいいのでしょうか。

頭や心を空にするには、瞑想をすることや、思いを言葉に書き出すことは役に立つかもしれませんし、

住まいを整理することで、五感で感じる空間を、空にすることも良いかもしれません。

もちろん、胃腸を休めせて、時にはお腹を空にすることも、精神を研ぎ澄ますことに繋がるでしょう。

趣味や研究に没頭することは、集中力を増し、余計なことを頭に入れないで空っぽにすることもできます。

今は情報も多く、見聞きするつもりがなくても、意図せず入ってくることが多いのです。
すでに満杯なのです。

情報や言葉の氾濫は、その中で大事なものを探すのに苦労します。

それはまるで、砂漠の中の一粒のダイヤモンドを見つけるかのようです。

生き方に迷った時、いろんな人にアドバイスを求めるでしょう。

ある人は、『本にその方法が書いてあった。まずは本を買いなさい』と言う。

またある人は、『探し方を知っている人が海の向こうにいる。その人に会いに行ったらいい』という。

そして、ある人は、
『まず、砂を先に取り除いたらいいのでは』と言う。

そうして、先に砂を取り除こうと手を開いたら、もうすでに手の中にダイヤモンドはあった、みたいな感じでしょうか。

周りの砂に惑わされて、本当に大切ものが一体何なのかわかりずらくなっています。

本質を見極めることは、人間の頭では出来ないかもしれません。

真実を知りたいと願っても、何が真実で、何が真実ではないかは、その人が持つそれぞれの宇宙でも違うからです。

だとしたら、出来ることは『空』
空っぽにして、すべてを委ね、宇宙の理に任せるだけです。

それは、それぞれが持つ宇宙と一体となり、任せることを許可することです。

許可するということは、自力を手放し、宇宙の法則に抗わない生き方です。

私達は、実はこの抗わない生き方を知っています。

ただ、だからこそ知りたいのです。
『空』ではない状態も。

それは苦労するためとか、苦しむためではなく、知らないことを知りたいだけなのです。

『空』を知るためには、『空』ではないものも知らなければならないのでしょう。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!





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