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アニメ版「楽しいムーミン一家」感想

先日から急に思い立って、アニメ版ムーミン「楽しいムーミン一家」を見始めました。もともとムーミンは好きで小説版を読んでいたのですが、アニメはほとんど見たことがなかったので。思い立って見はじめたら、あまりにも今の私にとっては切実で、ぽろぽろ泣きながら見てしまいました。

例えば、第一話の魔法の帽子に入ったムーミンの姿が変わってしまう話。醜い生き物に変わってしまったムーミンは、必死で自分がムーミントロールだと訴えますが、誰も彼をムーミンだとは認めてくれない。そんな中、ムーミンが叫んだ「どうして僕をムーミンと呼んでくれないの?ムーミンって呼んでよママ!」というセリフ。あまりにも切実なアイデンティティの問題で、本当に苦しくなってしまった。
自分が自分であることの証明、アイデンティファイするもの、それは究極的には顔に行き着くような気がする。でも本当に私が私であることを示すのは私の顔なのか?と考え出すとなんだかしっくり来なくて、むしろ魂のあり方というか、これまでの私の思考や経験の蓄積、そういったものの方が私をより強く示してくれそうだ。だけど、それは目に見えないものだから、もし私の顔が変わってしまったとき、周囲の人にいくら説明したところで私が私であることはきっと証明できない。そんなとき、たった一つの拠り所になるのが自分の名前だと思う(そういえば小説版ムーミンにはティ・ティー・ウーの名前とアイデンティティをめぐる話があった)。でもその名前は私が一人名乗ったところで本当の意味は持てない。誰かが、その名前の持ち主は私だって認めてくれなくちゃ。
自分が自分であるとはどういうことか。ムーミンの「僕をムーミンって呼んでよ!」という叫びは、自分が自分であるためには自分を認めてくれる誰かが必要なんだよ、というメッセージを端的に暗喩的に示してくれていると思う。

ムーミンの第一話、多分そんなに泣く話じゃないんだろうけど、あの一言が私にとってはあまりにも重たかった。アニメ版も面白かったので、ぼちぼちアニメ版ムーミンの感想文もここに書いていきたいと思います。


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