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普通列車に7時間揺られる 飯田線544M乗車記

乗り物に揺られるのが好きだ。
車、鉄道、飛行機、船、なんでもいい。移動しながらぼんやり車窓を眺めているともやもやしたものが晴れて頭がスッキリする。サウナ好きな人が「ととのう」と言う、あの感覚に近いのかもしれない。こんなご時世でしばらく遠出はしていなかったけれど、気分転換に鉄道に乗ってみることにした。どうせなら長いやつがいい。日本最長の乗車時間を誇る列車に揺られるため長野へ向かった。

(※2022.08執筆、2023.08再投稿)


列車について

今回乗るのは長野・静岡・愛知の三県を跨ぐ全長195.7kmのローカル線、JR飯田線だ。それなりに長距離路線なのだが、これを端から端まで各駅停車で走る普通列車が日に数本ある。いくつかの選択肢のうち、長野県の上諏訪駅を9:22に出発して終点の愛知県は豊橋駅に16:16に着く列車、通称「544M」列車を選んだ。乗車時間はしめて6時間54分。なんだかフルタイムで仕事をするのと大して変わりがない。1本の普通列車として、これだけ長い時間を走るものは国内にもうないらしい。そういうものに乗る。

始発 上諏訪駅

休日の朝9時ごろ上諏訪駅に到着。早いかなと思ったら列車はもう入線していた。紙の切符を買って改札を通る。3両編成の列車にはとりあえず私しかお客がいない。鉄道好きの同業者がいそうだなと思っていたので意外だった。時間があったので、さっき買ったパンを食べながら出発を待つ。列車待ちの車掌さん達が仲良さげに雑談していてのどかだ。街なかだとこういう光景はあまり見かけない。旅先で、これからほぼ一日無駄な時間を過ごそうとしていることも相まって、時間がゆるやかである。

諏訪の老舗・太養パンのパン。おいしい。

9:22に出発、の予定が2分遅れで列車は走り出した。あれからお客さんはパラパラと乗ってきたけれど、それでも同じ車両にいるのは数組だ。ちょっとさみしいが、近くの席のおばちゃん達が賑やかなトーンで話しまくっているので車内は明るい。
隣駅の下諏訪では御柱祭を終えて街に吊るしてあったお飾りが町内の人々にしまわれていた。岡谷駅を通り過ぎて諏訪湖が見えなくなると、列車は一旦わずかな山間に入る。しばらくして辰野駅を過ぎるとまた視界が開け、今度は伊那谷の光景が広がる。沿線はのどかで、田んぼでは親戚一同で田植えをしているのを何度か見た。先ほどのお祭りの片づけといい、長野にはみんなで何かをする習慣が残っているのだなと思う。それには良い面も煩わしい面もあると思うけれど、そういうものに縁がない人間としては少しうらやましい。
出発からしばらく有人駅が続いていたのが小さな無人駅ばかりになる。駅へ止まるたび、車掌さんが足音を響かせて最後尾からダッシュしてくるようになった。めちゃくちゃ走っている。飯田線では大半の駅が無人駅でICカードが使えないので、降車するお客さんの切符回収は列車の車掌さんの仕事だ。今走っているあたりはまだまだ街中で、ローカル線の無人駅とはいえ利用客がそれなりにいる。というわけで車掌さんが毎駅まじめにダッシュする姿を見ることができる。体力仕事である。

1時間経過

無人駅をいくつも過ぎて、列車は伊那北や伊那市の駅を通る。この界隈では大きめの町で、車内のお客さんも大勢降りていった。乗客は10代っぽい若者か年配の方の二択という感じだ。車に乗れる世代は車を使うという当たり前の事実が感じられる。とはいえ鉄道に全く親しみがないわけでもなく、沿線の所々でこちらに手を振るでんしゃお見送りキッズを見かけた。
人が少なくなってきたと思っていたら駒ヶ根駅を出たあたりでとうとう車両に一人になってしまった。隣の車両にはまだ誰か乗っていそうな気配があるけれど、見渡す限り人がいない。車掌さんは先述のダッシュの負担を減らすため走行中の検札もしていて(忙しい)、たびたび行き来するので完全に一人ではない。とはいえ誰もいない列車というのはなんだか妙な心地がする。飯田線は全線乗っていると必ず一人になる瞬間があって、それが不思議だ。

2時間経過

相変わらず一人でいる。列車は伊那谷の真ん中あたりまで進んできた。先ほどからカーブが多く、あっちに揺れればこっちに揺れでぐらぐらと重力がかかる。それすらものんびりのどかだ。出発時は曇っていたのがだんだん晴れてきている。山がきれいで緑もまぶしい。新緑、あと何度見られるのだろうとふと思う。
ぼんやりしていると検札があった。若い車掌さんに切符を見せる。上諏訪~豊橋の切符を見せても特に驚かれなかったので、こういう乗客は特段珍しくないのだと思う。最近は新幹線や特急でも検札を受けた覚えがなくて、こうして切符を取り出すという行動自体が久しぶりだった。懐かしさすら感じる。
乗車時間も2時間を越えて足腰がピシピシしてきた。車窓のりんご畑を流し見ながら足を伸ばしたりしてみる。まだまだ先は長い。上片桐の駅でようやく別のお客さん達が乗ってきた。みんな飯田の街中の方へ向かうらしい。

3時間経過

飯田駅に到着。飯田の手前の桜町駅あたりから、たんぽぽのを大きくしたような謎の綿毛が飛んでいて気になったが正体はよくわからない。
飯田も大きな街で人がたくさん乗り込んでくる。市街をゆくとだんだん平地が狭まってきているのを感じる。ずっと並走していながら遠すぎて見えていなかった天竜川も見えてきた。伊那谷の終わり、そして秘境区間が近い。
飯田の人が飯田市街地の駅で降りてゆく中、天竜峡駅で観光のお客さんがワッと乗車してきた。ここにきて全線通して一番の賑やかさになる。急に車内がワイワイした観光列車ムードになり、空気感が変わりすぎて面白い。車内の賑やかさとは裏腹に、天竜峡駅を出るとここからは本気の山奥だ。この先はここを降りてどこへ行くのかという駅が続き、山も川もぐっと近く、列車はわずかな平地を崖沿いに走る。元々は集落に合わせて駅があったそうなのだが、ダムの造成で集落が消え、人が離れ、今は駅だけが残っている。そういう風景をゆく。川は前日の雨で抹茶に味噌汁を混ぜたような色をしていた。
観光客の皆さんはツアーの人々だったらしく、為栗駅でまとまって下車。車内は水を打ったように静かになった。窓の外はさっきまでの人里が信じられないくらいの深山幽谷で、またなにか化かされたような不思議な気分になってくる。

4時間経過

中井侍駅あたり。山と川の迫り具合がすさまじい。

山と川スレスレの道をかろうじて進む風景が急に開け、山あいの街平岡に。沿線にはお茶畑も見られるようになり、静岡感が出てきた。と言いつつも街の人けはすぐになくなってしまい、また山へ。全線で最も山深いエリアを通ってゆく。中井侍駅で長野県とお別れし、有名な秘境駅・小和田駅から静岡県に入った。ものすごい山奥なのだが、住所は浜松市天竜区でいちおう政令指定都市の中になるらしい。
次の大嵐駅ではホームに郵便局員さんが立っていた。鉄道による郵便配達だ。長野・静岡・愛知の県境にあたるこの地域は山深く、現在も車両で到達するのが難しい集落があるという。大嵐の場合は駅の向こう岸に愛知県旧富山村の集落があり、ここへ愛知県側から行くのが困難なため、静岡県側(たしか水窪局)から配達員さんが飯田線に乗ってやってくるのだった。私が見かけたのはその帰路の様子だと思う。大嵐ではバイクが使えるらしいが、林道を歩いて集落に配達することもあるという。本当にすごい土地だ。
そんなような秘境駅ラッシュを過ぎると水窪駅でまた少し大きめの街に出る。飯田線は過去にルートの変更というのをやっていて、当初は駅がなかったが後から鉄道が通るようになったのがこの水窪周辺だ。このあたりは中央構造線の通り道なため地質が脆い。トンネル工事には大変悩まされたといい、それを物語るのが向市場~城西駅間にかかる第6水窪川橋梁だ。この橋は川の上をS字のようなU字のような不思議な形で通る。山にトンネルを掘ったもののやはり崩れてきてしまい、仕方なしに隣の川の上を迂回する橋を作ったという背景があるそうだ。ここの眺めはとても面白い。だんだん腰が痛くなってきているが、風景には飽きがこない。

5時間経過

うすらぼんやり外を眺めていたら東栄の駅だった。駅前の交番にコノハ警部の絵が書いてある。愛知県に入った。窓の外には飽きないけれど少し疲れもたまってくる。
いつの間にか川の位置が変わっている。右手に流れていたのが左手に移っているのだ。諏訪湖からずっと並走してきた天竜川とはこのあたりでお別れということらしい。川は浜名湖の方へ、鉄道は三河湾方面へ。そういえばお茶畑も少なくなってきた。
愛知県民ながら奥三河のことをきちんと知らない。道中、登山や温泉帰りのお客さんが乗ってくるのを見てはじめてそういう楽しみ方ができるということがわかった。世界、知ってるようでなにも知らんなと思う。長野からあれだけ走ってきた山も少しずつ開けてきた。平野が近い。西日も強さを増している。

6時間経過

新城で乗り込んできたおばあちゃん二人組が元気に喋っている。列車は10分停車なのだった。そろそろ出発かなというところでおばあちゃんの片方が「袋わすれた!!!」とハチャメチャ大声を発し降りていった。ホームに荷物を忘れたらしい。他人事ながら心配していたらおばあちゃんは無事に手提げ袋を回収して戻ってきて、列車は何事もなかったように駅を出た。
列車はどんどん市街地へと走っていく。少し前の山奥が信じられないくらいお客が増え、ローカル線らしさがなくなってきた。たまに見かけるスーパーのチェーンも東海のものになっている。具体的な境界がどこだったのかわからないが、東海の生活圏に帰ってきたことを感じる。
さすがにお尻はそこそこ痛い。体も軋む。西日のせいで暑いと思っていたら冗談抜きで気温が数度違った。長野の朝晩の冷え対策で長袖だった私はこの後から夏日の暑さに苦しむことになる。ヒートテックを着ている場合ではない。

終点 豊橋駅

感動の豊川放水路

山から大きな街へ下りた時の感覚、いつもちょっと面白い。すげー!人里!みたいなことばかり思う。
人里なので名鉄の赤い列車が見えてきている。終着駅はすぐそこだ。豊川放水路、豊川の順に鉄橋を渡る。諏訪とかからダラダラ来ているので感慨のレベルがおかしくなっており、新幹線や東海道線で何度も通ったおなじみの場所にも関わらず謎の感動がある。ただの橋と川に対してこんなに大きな気持ちを抱く日が来るとは思わなかった。
そうこうしているうちに終着のアナウンスが流れはじめた。在来線に続き、当たり前なのだが新幹線のご案内がある。大都会すぎて笑う。同じことを何度も言ってしまっているが、数時間前の山の光景がにわかには信じられない。シンプルに鉄道のすごさを思う。お決まりの「飯田線をご利用いただき誠にありがとうございました」の文句にやけに達成感があった。がっつりご利用した。安全運転ありがとうございました。
そうして列車は西日さす豊橋駅に着いた。約7時間の旅路は無事に終わった。

鈍行の何たるかを思い知るためこの列車に乗り込んだ。いざ降りてみると足腰がカクカクで笑ってしまった。エスカレーターで足を乗せるタイミングを逃す程度にカクカクだった。目的は達成できたと思う。
飯田線は乗っていると化かされたような気になる路線だと思っている。数時間でびっくりするほど風景が変わる。列車は時々しんと静まり返り、気がついたら自分一人しか乗っていない。沿線の生活の足、日常の風景であるというのがまず第一だけれども、全線通して乗ると街も農村も山も川も眺めることができる楽しさがある。今回は途中下車をしないという制約つきだったので、次に乗る時には気になっている駅で降りてみたい。
本当にぼんやりしているだけの一日だったのに、列車を降りて食べたオムライスは妙においしかった。今日みたいなことをことをやるとご飯がおいしい。きちんと無駄なことをやって生きねばと思う。

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