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絵が描けないときに考えていること

ていうか今なんですけど、絵が全然描けないみたいなゾーンにハマってしまっています。ここ数日…いや、数週間か。わたしは日々コンスタントにクリスタ(Clip Studio Paintというソフトウェア)を開いて、寝る前などに『ニンジャスレイヤー』の二次創作イラストを描いて、自分なりにそこそこ思い通り描けたかなというのをTwitterにアップしているのですが、ここのところご無沙汰なのはそういうわけです。そういうゾーンなのです。

一般的にはスランプと言うのかもしれない
(出典:ながいけん『神聖モテモテ王国』)

描けないときとはどういうことか

全然描いてないわけじゃなくて、描いてもテンションが自分のなかの合格点に至らない。「同じ線で同じ構図のものしか描けないなー」とか「思ってたのと違う」とか。果ては「わたしは何を根拠に今まで何でも描けるみたいな気分になっていたのか?」とか、考え始めてしまう。頭のなかにあるイメージと、実際に出力される結果との乖離が激しいと感じる。

なので、きっとある期間に急に技術が後退したりとかではないのです。まあもちろん体を使って書くので、身体的なコンディションも多少は影響しているのでしょうが、たぶん気分というか…脳の認識の問題。思うようにいかないとテンションが上がらずに続けられないし、時間を費やして仕上がらない日が続くと、今日もまたうまくいかないような気がしてしまう。

みんなこういうことってある? わたしにとってはたまたまこれが絵を描くときに現れる現象というだけであって、たぶん皆さん何かしらの創作をする方には大なり小なりあるんだと思います。楽器の練習とかもそうかもしれない。想像ですが。

お絵描きのバイオリズム

で、わたしもそれなりに長くお絵描きというのを趣味にしているので、このいわば「お絵描きのバイオリズム」とも言うべきものが、一定の長いスパンで見ると波のように表れるということを知っています。描けるときはどんどん描けるんだけど、あくまでそれは一時的なものであって、必ず停滞する期間が訪れる。なんだけども、続けていればまた復調の兆しは見えてくる。

ただし、この「続けていれば」という条件が重要で、低調だからと言って描いていないと平気でそのまま何ヶ月も経ってしまう。あくまで自分の場合ですよ。本当に描くのが得意で好きな人っていうのは描かずにはいられないのでしょうが、わたしの場合は描かなくても別にある程度は平気のようで、ただ無為に時間だけが過ぎていく。実際、過去に何度かそういうゾーンのまま、波の底がずっと続くみたいな経験もありました。

(個人の体験に基づくイメージです)

思うに、絵を描くことを仕事としている方というのは、この波がもともと全然ないか、あるいは少なくとも表面上はコントロールする術を知っている方なんだと思います。でないと、プロとしてはやっていけないはず…仕事があるときに、テンションが上がらなくて完成しませんでしたというわけにはいかないから。淡々と手を進めさえすれば、毎回コンスタントに想定した結果を出力できるというのがプロなのだと思います(正直うらやましい)。

描けないときはどうするか

でいて、まあ10代とか20代前半とかにこの描けないゾーンにハマってしまうと、描けない自分が描く意味とは…宇宙とは…みたいにそこそこ深刻なアイデンティティの危機にさらされてしまうのですが、わたしもいい年だし、幸いにしてもうそういうことはない。前述の通りこれが大きな波の一部だと知っており、続けていればそのうちまた楽しんで描けるようになるであろうことは知っている。なにより仕事でもなんでもなく、趣味だしね。

とはいえ、できることなら早く調子を戻したい。少なくとも「自分は絵がちょっとだけ得意でそれゆえ楽しんで描いている」という錯覚を取り戻したい(一生錯覚したままでいられるなら錯覚でも全然いいと思う)。

ここにいくつか選択肢があります。

a. 全然別のことをする(インプットに相当すること)

映画観たり漫画読んだり…刺激になるようなインプットは絶えず必要であると思います。問題はそのこと自体は創作パワーに自動的に変換されるわけではないということ。気を抜くとアウトプットせずに、インプットだけでずっと過ごしてしまう危険性はあります。

b. 描けなくてもひたすら描く

これがたぶん最短にして唯一の解決策であって、これなしに急に描けるようになることはない…。ただ、強靭な精神力を要する。思い通り描けないことと向き合い続けるというのは、言ってしまえばまずいと思っている料理ばかりを食べ続けることなので、けっこう…かなりつらい。しかも漫然と数を重ねているだけじゃさほど成果は上がらない。

たぶんいいのは、技術的な向上だけを目的として、デッサンや模写を淡々と繰り返すことなのでしょう。感情を無にして。でもそれって楽しい? みたいなところはある。それが楽しく感じるときはもう好調の兆しが近いときなので、そこに持っていくまでが大変なのだ。

c. 無理矢理目先の目標を立てる

たとえばもう即売会の予定を立てて申し込んじゃうとか。仕事と同じで、やらざるを得ない状況を作り出すことで、不調とか低調とか言っていられない環境に自分を放り込んでしまう。これもでも良し悪しで、例えるなら映らないテレビをバンバン叩くようなものだと思う。ガチッと噛み合ってテンションが戻るときもあれば、そうでないことも往々にしてある…。

d. 体を動かして美味しいものでも食べてぐっすり寝る

これは完全に気晴らしですね。思考が凝り固まっていると良くないのは確かであるので、全然別のことをして英気を養うのだ。心身の疲れが原因に関係しているときはこれがストレートに効く。こともある。あるんじゃないかな。

停滞期は成長するチャンス?

でね、これも考えようで、うまくいっていないと考えがちなときは自分の技量をある程度客観視できているときであって、一段階ステップアップする機会かもしれないと捉えることもできる。いわゆる学習曲線においてよくある、足踏み状態を何度か繰り返してステージが上がっていくみたいなやつ。

なので、実際そうかどうかはともかく、それを拠り所に地道に描き続ける…みたいなことが、わたしのやりかたかもしれません。こんな記事を書いているヒマで描くべきなのだ、本当は。
なんだけど、たまにはこういうときに頭のなかで考えていることを書き残しておくのもいいかなと思って、書きました。もちろん脳の全然違うとこを使うことによる気分転換も兼ねています。

ニンジャスレイヤー翻訳チームとかボンド&モーゼズが本当にすごいなと思うのは、もう何年間も淡々と一定のペースで出力し続けているところですね。プロフェッショナルたる所以だ。できることなら、書けないゾーン…いわゆるスランプがあるのかとか、そこから早く抜ける方法みたいなことも聞いてみたい。既にどこかのQ&Aでお答えいただいていたような気もする。

あっ記事の見出し画像はこの夏デニーズで食べた白桃ミニパルフェです。甘いものも大事!

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