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【#567】靖国神社に政治家が参拝するニュースをみるたびにふりかえる。

靖国神社に政治家が参拝するニュースを見る。
まずすぐ頭に浮かぶこと。

「たしかに、戦争で亡くなった方をお参りするのは、個人の信条としていいと思う。でも、戦争の指導者も同時に祀られているのに、何を祈り、願ってお参りしているのだろう」

僕自身、桜が満開の頃に、靖国神社に訪問したことがある。
咲き誇るきれいな桜を眺めながら、ああ、多くの人たちが亡くなって、守ってくれたからこそ、今の僕があるのだなあと、しみじみとした。

あれから数年。
また訪問することはあるだろう。
だが、靖国神社に対する僕の捉え方は異なっている。

本当に英霊になりたくて亡くなった人がどれくらいいるのだろうか。
国のために死にたかったのか。死ぬしかなかったのではないか。死ぬ選択をせざるを得なかったのではなかったか。
結果的に英霊にされてしまっているのではないか…。

そして、英霊になれ!と指示を出した戦争指導者は、なぜ責められないのだろうか…。

8月15日の時期になると靖国神社に参拝する政治家のニュースに出会うたびに、思い出していこう。山崎雅弘「未完の敗戦」に書かれている以下の内容。

・靖国神社の宮司は出征中の兵士の妻や母に「おお、よく死んでくださいました」と褒めてあげよと伝えた。
・軍人が死ぬという「マイナスの出来事」を「プラスの価値」へ転化し、人命軽視と感じさせないようにした。
・敵と戦って死んだのではなく、飢えや自決で死なせている。その指導部の責任を問われない仕組みができていた。
・国会議員は指導部の不手際で死んだ犠牲者とともに指導部にも参拝している。
・英霊になれなかった軍人に負い目を感じさせる。
・恒久平和を亡くなった軍人に誓うが、生き残った軍人に誓わない。

山崎雅弘「未完の敗戦」(p121〜163)

亡くなった人に祈ろう。
そして、戦争を引き起こした指導者には、一歩おいておこう。
戦争指導者の責任を頭の片隅おいておこう。
今の政治家が、命を軽視しないように。戦争を始めないように。

政治家が、大衆の責任にしてしまわないように。