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言語化トレーニング。

ライティングの指導をしているときによく感じる違和感があります。

書き上げてきたエッセイのセンテンスの文意がよく分からない時に、「何て言いたかったの??」と日本語で尋ねると「日本語ではうまく何て言ったらいいか分からないです。」という返事が返ってくることが少なくありません。

これって変だと思いません??

で、「じゃあ、英語でいいから何て言いたかったの??」と尋ねると、100%まともな返事が返ってくることはありません。

当然と言えば当然ですよね。

書いてきた英語の意味が分からないから質問しているので、英語で何と言いたかったのか答えられるはずがありません。

これは英語力が低いことを揶揄している訳ではなく、案外本人は本気で日本語ではうまく何というべきか分からないと思っているのです。というか、本当に日本語で何と言って良いのか分からないのだと思います。

実はポイントはココです。

冷静に考えてみると、日本語で何て言ってよいか分からないことを英語で言えるでしょうか。

英語が第一言語の人なら分かります。

しかし、第一言語が完全に日本語で、英語歴が浅い中で、日本語では言えないけど英語では完璧に言えるなんてことは起こりません。

もし、それが可能なら英語が第一言語のはずです。

要するに、ちょっと嫌な言い方になりますが、どの言語かに関わらず、「何て言ったらよいか分からない」ということなのです。

では、いったいなぜ「何て言いたいのか?」という問いに答えられないのか?

答えは簡単で、第一言語において「言語化」するトレーニングが不足しているからです。つまり日英かかわらず「言語化」できていないということなのです。

エッセイのアイデアをまとめている時に、何となく頭に浮かんだイメージを言語化することなく「えいや!」で書いてしまうと言いたいことが分からなくなってしまうのです。
この場合、十中八九、日本語の小論文であっても同じことが起こっているはずです。

逆に、英語歴は浅くてもそれなりに説得力のある文章を書くことができる生徒もいます。

そのような場合は、言語化する能力が高いので、少々表現の稚拙さやミスがあっても、それなりにしっかり伝わることになるのです。

もし英語エッセイを書いている時にうまくまとまらなくて困っている場合、一度日本語できっちり作文してみてください。

それでもうまくまとまらない時は、まずは日本語でじっくり言語化していく練習をしてほしいと思います。

うまくまとまらない場合、修飾語を端折ったり、表現しにくさを感じた時に「まあいっか!」という感じでウヤムヤにしていることに気がつくはずです。行き詰まった時に言語化できるまで格闘する経験を積んでほしいということです。

ここをブレークスルーできると、随分楽になるはずです。

日本語でしっかり言えたら、英語に変換するのなんてそんなに難しいことではありません。

英語ネイティブでない人に英語ネイティブの人のような英語感覚は普通はありません。それは、何ら恥じるようなことでもありません。
日本語ネイティブなら日本語で考えて何が変なのでしょうか?

まずはそこからのトレーニングをしっかり積んで、徐々に英語で考える方向にシフトしていけば良いと思うわけです。