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日本語学習って「国語」である必要ある?

補習校のクラス

自分は海外生専門の塾講師ですが、香港で今年の3月まで補習校の授業を担当していました。

担当していたクラスは「継承日本語クラス」と言い、クラスの8〜9割の生徒は第一言語が日本語ではありません。中には、第三言語になっている生徒や、第二言語だけどほとんど日本語が分からないという生徒もいます。

土曜日の午前中の3時間、授業をするのですが、ほとんどの生徒は来るのを楽しみにしていました。

もちろん授業は全て日本語で行います。

継承日本語クラス

まず、クラスの目的ですが、「継承」とあるように日本語というツールを通して日本文化についての学びや、彼ら自身のアイデンティティを意識することに寄与することとなります。

アイデンティティは「日本人」というより、日本というバックグラウンドを持つ個人というニュアンスが近い気がします。

自分は合計で7年以上、補習校に関わっているのですが、ここ数年は小学1年生のクラスを担当していました。

通っている生徒は全員、インターナショナルスクールか現地校に通っており、言語は英語、フランス語、広東語、中国語と多彩です。

(実は香港は、フランス本国以外で一番フランス人人口が多いのです。ですので、多くの生徒がフレンチスクールに通っています。)

そして、そのほとんどの生徒は、学校生活や日常生活で日本語を必要としていません。

両親のどちらかが日本人であることが多いですが、家庭でも日本語以外で会話している時間が長いのが現実です。

そこは保護者のスタンスによるので、一概にそれが良い悪いの話ではありませんが、ある程度の会話力を維持することを望むのであれば、日本人である親が日本語で話すように習慣化していくことが望ましいのは確かです。

日本語を学ぶモチベーション

このような環境で生活している子どもたちが、日本語での学習に対してモチベーションを持つことはとても大変です。

だって、必要ないんだから。

それでも、わざわざ土曜日の午前中に楽しく来てもらうには、何をおいても「楽しい」と思わないとまず続きません。

そして、その楽しいの中に「知的」なポイントがないと来る意味がありません。

国語じゃなっきゃいけないの?

日本語の学習というと、どうしても「国語」ということが頭に浮かびますが、はたして国語でなければならないのでしょうか?

もちろん、「国語」という科目を通しての学習を「0」にする必要はないと思いますが、日本語力が低いからと言って、例えば小学6年生の子どもに、小学2年生の内容を学習させるのは大きな間違いです。

言語の問題はあっても知的レベルは6年生なのに、小学2年生の内容はさすがに辛いでしょうし、広い意味での「学び」はないでしょう。

高校入試の英語の文章問題の文章が「つまらないな」と思うのは、英語云々の前に文章内容が中3生の知的レベルとマッチしていないからです。

ですので、無理やり国語のレベルを下げて国語にこだわるより、彼らの知的レベルに合った算数や理科を通して、それを日本語で学習したほうが楽しいし、学びも大きいはずです。

ポイントはモチベーションを維持することです。

「日本語で授業受けるのも悪くないな」と、まずは思ってもらうことが大切であり、いきなり片言からネイティブライクの日本語力をというのは現実的ではありません。

細く長く

周りで見守る大人は、このスタンスを大事にしてほしいと思います。

もう一度言いますが、彼らは日常生活で全く必要でない言語を学習しているのです。

小学1年生に「将来仕事で必要になるかもしれない」と言っても、そんなこと知ったことではありません。

もし、周りの大人が「将来必要になるかも」と思うのなら、無理強いをするのではなく、「日本語で何か楽しいことをやっている所」にいやがらずに行く環境を作ってあげることが大切です。

彼らが本当に必要かどうかを考えるのは、もうちょっと後です。

その時に、日本の大学に行きたいけど、全然日本語ができなくて諦めざるをえないというようなことにならないように、モチベーションを保つことに協力することが大切だと思っています。