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とある入社3年目OLの7つの習慣

「キレイなデータであふれた社会に」どうも、めぐもりです(芸人の挨拶風)

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質問箱にこんな質問が届いたのでさっくり答えてみます!

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そもそもなんでこんな質問が飛んできたのかというと、おそらく下記のようなイキリ?ツイートを投下したからだと思われます。

今回は、ここで使った「習慣」という単語をベースに話してみます。


習慣とは?

この質問をいただいてまず最初に思ったのが、以下の問いです。

「確かに、習慣ってなんだ?」

「習慣って、習慣『にする』ものなんだっけ?」

うん、検索してみよう。

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はい。上記も踏まえて、習慣にする、という概念は私の中にはあまりなく、習慣になっているものがある、という前提で私の習慣を7つ紹介していきます。(スティーブン・R・コヴィーさんが書いている『完訳 7つの習慣~人格主義の回復~』をパロってみましたw)


第一の習慣:「成果を持って組織に貢献する」

言わずと知れた大好きドラッカーの文章から、これは常に考えるようにしています。(多分「マネジメント」か「プロフェッショナルの条件」に書いてあります)

「最近、君が一番がんばったことはなに?」

みたいな質問を評価のフィードバックタイミングや、たわいもない話で受けることがあります。その時、必ず即答するべきは、自分が時間をかけたりできなくて頭を悩ませたりしたことではなく、もっとも成果を持って属する組織へ貢献できたことです。

これが即答できないようであれば、対価をもらうような立場に自分はないと思います。


第二の習慣:「タスクは成果物単位で考える」

生きていると、時々「成果物にならないタスクもある」「成果物の概念は人それぞれ」なんていう言葉を耳にすることがあります。

これは、社会においてジョブディスクリプションが明確にならない諸悪の根源であると私は感じています。

ヒアリングをするのであれば、ヒアリング結果を分析またはレポートする。調整をするのであれば、調整状況を可視化する。色々な方法があります。

自分が今行なっている作業がどんな成果物に繋がるかイメージできる状況でタスクをこなすことは、そのタスクを受ける人としての責任であり、誠意であると考えています。


第三の習慣:「自分の現在における意思決定にのみ注力する」

これまた生きていると、「これって誰がやるべきものなの?」「上が決めてくれないと困るよね。」といった言葉を耳にします。

程度問題ではありますが、これは誰かの過去の意思決定を問うものや、未来の意思決定を確認するものばかりです。

同じ疑問であっても、「私はこうしたいんだけど、これができる人知ってる?」「この考えが共有されてないと思うんだけど、どの会議体なら私でも伝えられる?」というアドバイスを求めるものでなければ、その人に対して何か協力しようという気持ちが起きないのではないでしょうか。

私はそのような誰かの意思決定について話す時間があれば、私がマネジメントを行う事柄についての議論をより深めたいと思います。


第四の習慣:「真摯的である」

これも大好きドラッカーの言葉からきています。(一個上のも。。)

ただ、どうしたら真摯的でいることができるかは難しい問題です。

私も高校の時、倫理の先生に「真理とはなんですか?」「私は真理を追求しましたが、迷ってしまっただけでした。。」と相談しました。当時部活の副部長として50人近くの部員をマネジメントする必要があり、頭を悩ませていたのです。

倫理の先生の答えはこうでした。

「何のための『真理』であるかを問わなければいけないよ」

研究柄、動物のいのちに関する話題に触れることも多く、色々と考えましたが、結果、真摯的であるには『自己開示を行えるか』というところに尽きると思います。

アサーティブなコミュニケーションを行い、自分が現状考えていることを周りと話しながら、問い続けるのです。その問いに終わりはないでしょう。

ただ、「答えがなくても問い続ける」。

それを、自分なりの意思決定を行いながら遂げていくことが、現状の私の中での良さそうな方法です。


第五の習慣:「事実をまず受け入れる」

ちょっとこれはできているかわからないですが、まず事実を受け入れることを優先するように心がけています。

データが好き!みたいなテンションで活動をしていると、

「じゃあ、感情はあまり興味がないの?」

「データはAだったとしても、実際にBだったらどうするの?」

なんて言われることがあります。

答えは、全ては事実でしかない、ということです。なぜか人々はデータというと、何かの単位系に基づいて決められている数値を思い描くようです。ただ、それは違います。何かの感情があった/なかった、という情報も大切な一つのデータです。

ずっとその主張をしてきましたが、どうしても伝わらないし、ブランディングするにもコストがかかり過ぎてしまいそう、というところから、それ以降「データ」という単語を捨てて「ファクト」という単語に置き換えました。

ファクト(事実)なんていうと、全部を指してしまうしずるい、みたいな気もしますが、適当な単語が思いつかないので取り急ぎ。もしもっといい単語を見つけた方はすぐにご連絡ください!


第六の習慣:「求められることを楽しんでやってみる」

正直に言います。(?)

人は見たいものしか見ることができません

つまり、求められているところしか見えないんです。不思議ですよね、でもそうなんです。見えないんです。

なので、その相手が重要な人であれば、どんな状況でも求められることで成果を上げなければなりません。(多分)

やらなければならない、というのに加えてもう一つ。

人が考えることなんて、どれも似たり寄ったりです。

それはもちろん私自身もそうで、私が考えることなんて大体誰かも考えていたり、すでにやっていたりするものです。

なので、自分の意思とプラスで少し環境依存の何かをやると、面白いことが生まれる確率が上がる気がしています。

加えて、元ツイートで上げている「挑戦」の習慣の一つがこの第六の習慣ですね。

よくわからなくても、「なんか面白そうだし、やってみるか」みたいな感じでいると、楽しいことに出会える可能性が広がります。

自分の想定外のことをやるのはちょっと怖いと感じるかもしれませんが、意外と楽しいです。

絶叫マシーンも力んで乗るとガチ怖いですが、身を委ねれば案外楽しめることもあります。(もちろん本格的な絶叫マシーンの場合はそうでないことが多いです。例として適切でなかったですねごめんなさい)

まずは、楽しみながら、自分が誰かに貢献できることを探索していきます。

どうしても、自分が本当にやりたいことは周りを巻き込みながらその人にやってもらうなどの対策をとります。見たいものしか見えない相手にはそれが一番有効です。(多分)


第七の習慣:「想像ができない世界は誰かに委ねる」

「好きなことして生きていく」みたいな言葉が蔓延していますが、どんなに好きだってイメージできないものは作れません。(多分)

楽しみながら第六の習慣をやったって、誰かを巻き込んでやらせたって、その行動を行う主体が想像できないものは想像の範囲でしか作れないのです。

相手が私に対して想像できることしか見えないのと同じで、私も自分が想像できるものしか作れないんです。悲しいですね。。

ちょっと悲しいですが、そこに対して感情的になる必要はありません。できないことに対して傷つく必要もないです。私たちは集団を、社会を形成できる動物なので、何も心配ないです。

逆に言えば、自分が誰よりも想像できる世界は、自分が作るしかないのです。そのイメージを誰かに強く、伝えなければ、あなたが変えなければ、世界は変わらないです。

つまり、元ツイートで上げている「挑戦」の習慣のもう一つがこれですね。私たちは、私たちが想像できる世界を作る挑戦を続けなければならないのです。

もちろん、多くの人類史に関する書籍で、「環境要因で決まってたんじゃないの〜〜?」みたいな話も多いです。

ここは解釈が割れるところですが、私が色々見聞きした情報を加味すると、環境に応じてその時々の最適な意思決定をした個体とその個体が属する集団によって世界は変わってきたと感じます。

世界は私たち一人一人の手の中にある。

誰かから見たらそれは小さな世界かもしれない。ただ、私たちはその世界の深さや広さを想像し、作り上げることができる。

なんと言われても、それは私たちしか見えていない世界だということの証明にしかなりません。

自分が信じ切れる世界。そんな世界を拓いていくストーリーを描きましょう。

人生一回しかないですし、割と短そうですから、楽しんだ方が良さそうです。


おわりに

私の7つの習慣というか、前半は特に「ドラッカー大好きです」という話でしたね笑

ご質問の回答になっていましたかね。。?

以上、参考まで、よろしくお願いします!

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