信州 木村素衛の石碑を訪ねて

 

 GW中、長野県に5箇所ある木村素衛の石碑を見て回った(ただし内3箇所は小学校敷地内のため、学校の外を歩くに止めた。事前に連絡しておけば見られたかもしれないが、その余裕がなかった)。
 木村素衛(1895~1946)は加賀出身で、西田幾多郎の弟子の教育哲学者。信州の教師達に請われ何度も当地を訪ね、亡くなったのも信州だった(体調の優れぬ状態で講演に行き、そこで悪化させてしまった)。今も長野県の教師には尊敬されているようだ(小諸出身で教師をしている私の友人も、木村の名前は知っていた)。私は西田哲学館の企画展と講演で木村の名前を知り、企画展パンフに載っている彼の言葉に感銘を受け、いずれ長野の石碑は訪れたいと思っていた。
 以前、西田哲学館で木村の娘の張さつきさんと、木村と親しかった高坂正顕の息子の高坂節三氏の対談を見た(内容は哲学館刊行の『点から線へ』68号を参照。本noteもそれと企画展パンフを参照先にしている)。途中、高坂氏が「木村先生がもっと長生きしていれば…」と声を詰まらせる時があり、80年近く前に亡くなった人にここまで想いを寄せられることに胸を打たれた。

 まずは車で新潟から入り、148号線(途中から147号線になる)を南下する。5月頭、北アルプスは岩壁が見えては来ているが、未だ雪が多い。安曇野の石碑は、教育文化会館の隣、少し奥まったところにあった。手前には豊科中学の石碑、見れば校歌の作詞は務台理作だと言う(木村は最初務台の代理として信州を訪れたのであった)。木村の石碑には安曇野の景色が詠われている。ここからも北アルプスの雄大な眺めが堪能できる。木村が信州の景色の虜になったことが伺われる文だ。教育会館の隣は豊科近代美術館で、以前私は高田博厚の彫刻を見に訪れたのであった。その頃は木村に関心がなかった。人生先のことは分からんものだ。

安曇野の石碑

 安曇野から松本はすぐである。松本の北、浅間温泉の近くの茶臼山に行く途中に記念碑はあった。歩いて行けないこともない。登り始めてすぐだからだ。少し高台で、松本市街地を眺めることができる。この記念碑の書は木村の後輩にあたる下村寅太郎の筆になるという。下村が木村をどう評価していたのかも気になるところ。が、やはり書かれた文章が素晴らしい。木村の日記を読んでみたくなった。

松本・茶臼山の石碑

 他に信大付属小、上田、木島平村も行ってみた。特に、木島平の田園と山(北信五岳が見えていた?)の景色が美しかった。木村でなくとも気に入るだろう。私が数年過ごした砺波平野の景色とも違う。

 私は教師でもないし教育に携わることもないだろうが、木村の思想をより深く知りたくなった。


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