最近の哲学的関心について

 ここ10年程、シモーヌ・ヴェイユの量子論批判の現代における意義をたまに考えていたのだが、最近ではやっぱり難しいなぁ、と思っている。テクニカルには擁護できないし(私自身が物理学をちゃんと理解していないので細かい部分まで詰めてはいないにせよ)、ハイデガーの技術論・アーレントの『人間の条件(活動的生)』での議論・フッサールの生活世界論・アガンベンの『実在とは何か』での議論などとつなげて何か言えないだろうか、とも思ったが、あまり魅力を感じない。むしろ自然科学をちゃんと勉強すべきだろう。というかヴェイユは当然それをやった上で批判している訳で。
 で、哲学と自然科学を架橋するような仕事に関心がある。最近読んだものでは西郷甲矢人・田口茂『<現実>とは何か』が抜群に面白く、こういう方向でものを考えてみたいと思った(できるかどうかは別として)。後はベルクソン『物質と記憶』を、脳科学などを踏まえて論じた論集にも興味がある。『物質と記憶』読んでないが。
 だが今一番興味があるのがドゥルーズ=ガタリ『哲学とは何か』で、小倉拓也『カオスに抗する闘い』を読んだのが理由だ。小倉さんの本は元の博士論文が「ジル・ドゥルーズの哲学における意味と感覚の理論についての人間学的研究」という題で、「人間学的」というのがミソだと思っている。要は、いい意味で文学的(実存的?)にも読める訳だ。小倉さんは、ドゥルーズ自身の老いが前景化した最後の共著である『哲学とは何か』を、まさに彼自らが崩れゆく中で何をなしうるかを問うた書物として読む。そこに痺れた。本人の意図はともかく、小倉さんの本は人を酔わせる。ただし以前講演会で彼が問われていたように、小倉さんの本に集団的契機があるかどうかは考えねばなるまい(来るべき民衆?)。老いというテーマではマラブーの『偶有事の存在論』も面白く、彼女の脳科学を参照した思索の展開を気にしてはいる。
 そんな訳で、『哲学とは何か』を読もうとする。意味不明である。なんか不思議に心地よい文章ではあるのだが(原著と英訳と首っ引きで読んで、ようやく序論を読み終わったが、一体私は何を読んだのか)。そんな時に強力な助っ人現る。近藤和敬『ドゥルーズとガタリの『哲学とは何か』を精読する』である。近藤さんの本はスピノザに依拠した読みなのだが、いかんせん私はスピノザにほとんど関心がない(デカルトの方がはるかに関心がある)。それはともかく、近藤さんの本を頼りに『哲学とは何か』をちびちび読んでいこうと思う。彼はエピステモロジーの専門家で、ヴェイユの科学論やってた関係で私もその方面には興味はあるのだが(『カヴァイエス研究』は出てすぐに買ったが難し過ぎた…)、上記の哲学と自然科学の架橋(勿論単なる野合ではない)という面でも面白そうだ。
 まとめると、現在の私の関心は一方では哲学と自然科学の関わりにあり、他方では老いや身体の変容と実存の関わりにある。これらの交差する領域での思索を深めていきたい。最近出た人文書をちょっとずつつまみ食いしてるだけじゃないかと言われれば、まぁそうですと言うしかない。どうも一貫した関心というものが私には欠けているようだ。
 ただまぁ私が一番にやるべきなのはマンガを描くことなのだが…。

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