神の御心とは
はじめに
「神の御心を行う者だけが天国に入る」そうイエス様が教えておられるのを知っているでしょうか。
ですから私たちは、神の御心が何であるか、切に求めなければなりません。
御旨、御心と訳される言葉は、ギリシャ語の「セレーマ」です。
これは「決意」「選び」「要求」などの意味を持ち、聖書では「神の意志」「神の計画」をも指します。
今、神のセレーマとは何か、ご一緒に聖書から確認してみましょう。
御子を信じること
次の聖句は、教会でよく聞く聖句ではないでしょうか。
そうです。神のセレーマは、私たちが御子を信じ、永遠の命を得ることです。
「ですから先ほどの聖句は、『御子を信じる者だけが天国に入る』と教えていたに過ぎません!」
・・・こんな説教を山ほど見かけます。
本当にそうでしょうか。
本当に、神の御心はそれだけなのでしょうか。
神の御心
神のセレーマは、聖書のいたるところに書かれています。
それなのに、どうして多くの教会は、御子を信じることだけが神の御心であるかのように教えるのでしょうか。
それは、「信じるだけで天国へ行ける」という安易な教理を掲げ、人々を集めたいからではないでしょうか。
だとしたら、大変な罪です。
なぜならそれは、主の言葉に反するばかりか、多くの人々を躓かせ、天国に入らせないようにしてしまうからです。
初代教会の勧告
初代教会のエパフラスという人は、次のように祈っています。
またパウロは、エペソ教会の人々に向けて、次のように勧告しています。
さらに、ローマ人への手紙にはこう書いてあります。
私たちは、聖書にたくさん書かれた神のセレーマを悟り、何が善で、何が神に喜ばれ、何が全きことであるかを、わきまえ知らなければならないのです。
「信じるだけで天国へ行ける」という現代教会の教えは、この教えから逸脱していることを覚えてください。
クリスチャンへの裁き
最初の聖句を、もう少し詳しく見てみましょう。
よく見てください。
ここに書かれている人々は、天国に入れることを確信していた人たちです。
それなのに、終わりの日、「不法を働く者どもよ、行ってしまえ」と言われてしまうのです。
なぜでしょうか。
はっきりと書かれています。その理由はただ一つ、「不法」です。
間違いありません。
終わりの日、不法を行う人々は、ことごとく教会から取り集められて、炉の火に投げ込まれるのです。
不法とは
罪とは不法であり、不法とは律法に違反することです。
もしあなたが「律法は終わった」と教える教会にいるなら、よく考える必要があります。
「最も小さい者」とは、「不法を働く者どもよ、行ってしまえ」と言われる人のことであることを覚えてください。
聖書は、けっして神の律法が終わったとは教えていません。
むしろ、天地が滅び行くまで、一点一画も廃れないと教えており、一つも破ってはいけないと教えています。
これに反することは「不法」です。
多くのクリスチャンが、「不法を働く者どもよ、行ってしまえ」と言われてしまうのは、このためです。
おわりに
神の御心とは何か、おわかりいただけたでしょうか。
それは、聖書に書かれた一つひとつの教えです。
ことに十戒は、神の御心の集大成です。
これに逆らうことは「不法」です。
なぜ、十戒だけが石の板に書き付けられ、神の宮に納められたのでしょうか。
それは、人が神の宮となったとき、これこそが私たちの中に納められ、心に書き付けられる律法であることを教えるためです。
これが新約です。
あなたは神の宮となり、心に十戒を納められているでしょうか。
十戒に本気で同意するなら、キリストの助けが必要ない瞬間など、一瞬もないはずです。
ですから、絶えず祈る必要があるのです。
主は、いつもあなたとともにいてくださいます。
あなたが助けを求めるのを、常に待っておられるのです。
「神の御心を行う者だけが天国に入る」というイエス様の教えは、本当です。
ですから、主に助けを求め、絶えず御心を行っていきましょう。
今日、間違った教えをすべて手放して、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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