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神の御心とは
はじめに
「神の御心を行う者だけが天国に入る」そうイエス様が教えておられるのを知っているでしょうか。
マタイの福音書
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
ですから私たちは、神の御心が何であるか、切に求めなければなりません。
御旨、御心と訳される言葉は、ギリシャ語の「セレーマ」です。
これは「決意」「選び」「要求」などの意味を持ち、聖書では「神の意志」「神の計画」をも指します。
今、神のセレーマとは何か、ご一緒に聖書から確認してみましょう。
御子を信じること
次の聖句は、教会でよく聞く聖句ではないでしょうか。
ヨハネの福音書
6:40 わたしの父のみこころ(セレーマ)は、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」。
そうです。神のセレーマは、私たちが御子を信じ、永遠の命を得ることです。
「ですから先ほどの聖句は、『御子を信じる者だけが天国に入る』と教えていたに過ぎません!」
・・・こんな説教を山ほど見かけます。
本当にそうでしょうか。
本当に、神の御心はそれだけなのでしょうか。
神の御心
神のセレーマは、聖書のいたるところに書かれています。
テサロニケ人への手紙 第一
4:3 神のみこころ(セレーマ)は、あなたがたが清くなることである──
ペテロの手紙 第一
2:15 善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨(セレーマ)なのである。
それなのに、どうして多くの教会は、御子を信じることだけが神の御心であるかのように教えるのでしょうか。
それは、「信じるだけで天国へ行ける」という安易な教理を掲げ、人々を集めたいからではないでしょうか。
だとしたら、大変な罪です。
なぜならそれは、主の言葉に反するばかりか、多くの人々を躓かせ、天国に入らせないようにしてしまうからです。
初代教会の勧告
初代教会のエパフラスという人は、次のように祈っています。
コロサイ人への手紙
4:12 あなたがたのうちのひとり、キリスト・イエスの僕エパフラスから、よろしく。彼はいつも、祈のうちであなたがたを覚え、あなたがたが全き人となり、神の御旨(セレーマ)をことごとく確信して立つようにと、熱心に祈っている。
またパウロは、エペソ教会の人々に向けて、次のように勧告しています。
エペソ人への手紙
5:15 そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、
5:16 今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。
5:17 だから、愚かな者にならないで、主の御旨(セレーマ)がなんであるかを悟りなさい。
さらに、ローマ人への手紙にはこう書いてあります。
ローマ人への手紙
12:2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨(セレーマ)であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
私たちは、聖書にたくさん書かれた神のセレーマを悟り、何が善で、何が神に喜ばれ、何が全きことであるかを、わきまえ知らなければならないのです。
「信じるだけで天国へ行ける」という現代教会の教えは、この教えから逸脱していることを覚えてください。
クリスチャンへの裁き
最初の聖句を、もう少し詳しく見てみましょう。
マタイの福音書
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨(セレーマ)を行う者だけが、はいるのである。
7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
よく見てください。
ここに書かれている人々は、天国に入れることを確信していた人たちです。
それなのに、終わりの日、「不法を働く者どもよ、行ってしまえ」と言われてしまうのです。
なぜでしょうか。
はっきりと書かれています。その理由はただ一つ、「不法」です。
マタイの福音書
13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。
13:41 人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
13:42 炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
間違いありません。
終わりの日、不法を行う人々は、ことごとく教会から取り集められて、炉の火に投げ込まれるのです。
不法とは
ヨハネの手紙 第一
3:4 すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である。
ヨハネの手紙 第一
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。
罪とは不法であり、不法とは律法に違反することです。
もしあなたが「律法は終わった」と教える教会にいるなら、よく考える必要があります。
マタイの福音書
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
「最も小さい者」とは、「不法を働く者どもよ、行ってしまえ」と言われる人のことであることを覚えてください。
聖書は、けっして神の律法が終わったとは教えていません。
むしろ、天地が滅び行くまで、一点一画も廃れないと教えており、一つも破ってはいけないと教えています。
これに反することは「不法」です。
多くのクリスチャンが、「不法を働く者どもよ、行ってしまえ」と言われてしまうのは、このためです。
おわりに
神の御心とは何か、おわかりいただけたでしょうか。
それは、聖書に書かれた一つひとつの教えです。
ことに十戒は、神の御心の集大成です。
これに逆らうことは「不法」です。
なぜ、十戒だけが石の板に書き付けられ、神の宮に納められたのでしょうか。
それは、人が神の宮となったとき、これこそが私たちの中に納められ、心に書き付けられる律法であることを教えるためです。
ヘブル人への手紙
8:10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。
これが新約です。
あなたは神の宮となり、心に十戒を納められているでしょうか。
コリント人への手紙 第一
3:16 あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。
十戒に本気で同意するなら、キリストの助けが必要ない瞬間など、一瞬もないはずです。
ですから、絶えず祈る必要があるのです。
テサロニケ人への手紙 第一
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられること(セレーマ)である。
主は、いつもあなたとともにいてくださいます。
あなたが助けを求めるのを、常に待っておられるのです。
「神の御心を行う者だけが天国に入る」というイエス様の教えは、本当です。
ですから、主に助けを求め、絶えず御心を行っていきましょう。
今日、間違った教えをすべて手放して、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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