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はじめに「信じるだけで救われる」そのような説教が、多くの教会で聞かれます。 これはキリスト教の常識と言ってもいいでしょう。 では、その聖書箇所を見てみましょう。 ──ありません。 そのような聖句は、聖書のどこにも存在しないのです。 「信じるだけ」と検索しても、決して出てくることはありません。 この事実は、「信じるだけで救われる」という教えが、聖書の教えではないことを表しています。 ショックなことですが、まずは真実に目を向けることから始めましょう。 救いの教え聖書に
はじめに聖書は、私たちに戦うようにと何度も教えています。 さて、私たちは一体、どんな戦いをすべきなのでしょうか。 私たちのすべき戦い私たちクリスチャンのすべき戦いは、支配と権威に対する戦いだと聖書は教えます。 どういうことでしょうか。 ある町に、二人の農夫がいたとします。 片方の農夫は、毎日、脇目も振らずに働いて、大きな収穫を得ました。 その収穫で、さらに農地を増やして、忙しくはなりましたが、蓄えはもっと増えました。 もう片方の農夫は、神様を最優先にし、安息日には
はじめに私たち人類は、日、月、年などの周期をもって生活しています。 これらの周期は、天体の動きから、いつでも確認できます。 ところが、週はどうでしょう。 この周期だけは、どの天体からも観測することはできません。 にもかかわらず、古来より、人類はこの周期を使って生活してきました。 最も古い文明とされるメソポタミアでさえ、すでに週制度を使っていたのです。 一体、この七の周期はどこから来たのでしょうか。 聖書だけが、その答えを教えてくれます。 神の働かれる周期七の周期は、