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はじめにこんな言葉を聞いたことはないでしょうか。 「あの人は、あなたの救いの確信を揺るがす者だ。あの人の話を聞いてはいけない」 以前の私は、そんな言葉を鵜呑みにするような人間でした。 それどころか、救いの確信を揺るがす人は、悪魔の側にいるのだと思うほどでした。 しかしどうでしょう。 「あの者の話を聞くな」これはカルトの常套手段です。 異端と呼ばれる人たちを見て、助けてあげたいと思ったことはないでしょうか。 けれども彼らは、独自の確信を握りしめており、けっして手放そう
はじめに多くの教会で、次のようなメッセージが語られています。 「私たちは恵みによって救われます! 少しでも人の行いが必要なら、それは恵みとは言いません!」 また、こうも教えられています。 「人の行いが必要なら、救いの確かさは危ういものとなってしまいます。 絶対にそんなことはありません」 本当でしょうか。 行いが必要なら、それは恵みとは言わないのでしょうか。 人が救われるのに、本当に行いは必要ないのでしょうか。 これはとても大切なことですから、聖書から確かめてみる
はじめに神の宮とは何でしょう。 ギリシャ語で「ナオス」。 日本語では「神殿」「聖所」「宮」などと訳されています。 これが何であるかを知ることは、クリスチャンにとって非常に重要なことです。 この理解がなくては、けっして神の民になることはできないからです。 ご一緒に、聖書から確認してみましょう。 神が住まわれる場所「ナオス」とは、神が住まわれる場所のことです。 イエス様は、聖霊が住まわれるご自身の体を、ナオスと呼んでいました。 イエス様だけではありません。 神の霊を受け