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Neutral Jo 助産師

たびたび聞かれた。
ニュージーランドとはどんな国? と。

どうしてニュージーランドで出産をすることにしたかとか、
なぜそこはニュージーランドでなければいけなかったのかとか、


たどれば色々理由はあるのだろうけれども、
感覚に頼って生きている人間にとって
「理由」は
あってないようなもので、

説明しようとした途端に、

つまらなくなるような気がする。



ニュージーランドって、どんな国?と聞かれて、
「そうだねえ、」のあと、

ひと呼吸置いてから、出てきた言葉は、


「ニュートラルな、場所だね。」


だった。

ニュージーランドは、ニューヨークのような混沌とした
多種多様な都市で数年暮らしたあとに
足を踏み入れると、

実に、ニュートラルな、
場所だった。


最初のうち、その景色を目の前に
言葉を探す作業はつづいた。


無骨で、素朴で、シンプルでプレインで、クリーンで、
そして、ニュートラルな


国であり、出会った人々。


その時々、自分にひつような「要素」というのは
変化しつづけるのだとつくづく思う。

長年、そんなクリーンな場所では、退屈で
「ニュートラル」などというキーワードは、

単調すぎるかもしれないなあと


そんなふうに思いながら降り立った
ニュージーランド


ニューヨークが100色くらいのカラフルなジグザグだとしたら
ニュージーランドは、美しい緑と空色の2色

野暮ったくて、人は優しく、「普通」で、

美味しい店も、毎日通えるヨガスタジオも、
気の利いた雑貨屋も、はっと目を奪われるような広告も
いたるところに出没する大道芸人も
才能に溢れたジャズミュージシャンも

そこには何ひとつなく、


あるのは、
延々と広がる緑と、果てしなく続く空
そして



たまに牛、鶏

フィジョワ


ゼロから何かを始めたかったわたしにとって
そして
彼の人生をスタートさせてあげる場所として

「ニュートラル」がどれほど大切であるかを
どれほどぴったりの場所であったかと
いまでも完璧な選択だったと
そう、おもう



ーーーー
ミッドワイフ(助産師)は、ジョーだった。


友人を通じて紹介してもらった、腕のたつ、助産師。

彼女はそして、
とても、
ニュートラルな女性だ。


自分の状況やいきさつ、心情なんかを日本にいた頃にメールし、
望んでいた出産のあり方をおそらくジョーは、

ほとんど説明などしなくても
よく、理解してくれていたに違いない。

ひとりで外国に乗り込もうとしている私に、
周りの友人は、心配して止めた。

そういうわけで、ほとんど反対されるのが目に見えている状況で
わたしは事をひとりですすめようと、黙々と決意を固め

そして、ジョーの、


「いいと思うわ、請け負いましょう」

という、返信の、「感触」を、

私は信じ、
そして引っ張られるようにして
その場所へたどりついたのだった。


ジョーは、ニュートラルだった。


私の「味方」を、しなかった。
でも、私の「味方」を、しなかったとき、


この人は本当に信用できる、

そう思った。



そして、
最初に会ったその日から、生まれる瞬間から、
そして、ニュージーランドを旅立つ前日まで、

ジョーは、わたしと、たおを、


文字通り最初から最後まで、
全面的に支え続けてくれたひとだ。


彼女が取り上げるはずだった赤ん坊は、ほとんど丸二日経っても
一向に出てくる気配がなく、

自宅出産にしがみついていた私は
病院に運ばれる直前まで泣きながら懇願して


ここで産みたいとわめいたが、


救急車の中意識を失いかけながら
最終的に引っ張りだされたのは
分娩台の上で、


赤子を取り上げへその緒を速攻で伐ったのは、
雑で事務的な、「医者」だった。


検診のたびに、ジョーがわたしの身体に触れる
その丁寧で涙がでそうなほど優しい手つきとは
真逆な扱い方に


人権侵害だと言わんばかりに憤ったわたし


それでもジョーは、決して、
私の肩を持つようなことはなく


私の抱えるほかのプライベートなどんなことに対しても
いつもニュートラルな立場で

そして
必ず横にいて、話をきき、
わたしの必要としている助け以上の
助けを出してくれる

本当に優秀で、どこまでもプロフェッショナルな女性だった。


生まれて一週間後、

母乳外来で舌小帯を切りにいったとき
検診のたびにノート一面ぎっしりと気づきを綴った母子手帳を見て


「この人はとってもいい助産師ね」と

言われた。


わたしは、ジョー以外の助産師を、知らないけれど、
ジョーが、どれくらい素晴らしい助産師かどうかは
とてもよくわかっていて、



その言葉を聞いたとき
本当に幸運だったと

誇らしく嬉しくなった。



産後、辛かったとき、
ひとりで抱え込んでいた私に


大切な決断をさせてくれたのは、紛れもないジョーの言葉だ。



本当に信頼できると感じているひとの、
ひとことは
なによりも 重みがあった。


わたしは今、


ニューヨークと同じくらい、
ニュージーランドが
好きだろうなあ、と思う。



ジョーの写真を見て、
胸がきゅっと
しめつけられる気持ちがした。

たくさんの、
素晴らしい出会いがあったうちの
大切なひとつ

それは、
たおを「取り上げて」くれた、

ジョーの存在



ジョーは今日も

何人もの出産を控えた女性たちのもとを
飛び回って
いることだろう





写真は
コウノトリ的体重測定

検診のとき 一体何が映ってるかわからない

奇怪極まりない映像を前に


ここが足ですねえーと画面を指差され「はあ、」としか言いようがない
日本の病院での一コマに、

疑問を感じることはあまりなかったが


何の機械も使わずに、

その柔らかく暖かい手で
わたしのおなかを端から端まで優しく押して
「ここに足があるわね」と言われる

それは全く別の体験



体重測定もお気に入りのひとつ


デジタルスケールに
載せられるのではなく
赤ん坊を


そのへんの布で包んで
その計りに吊るす


足がピュッと飛び出ているのが
毎回
あまりに愛らしくて

わたしはそれが、
大好きだった



妊娠出産がどんな風なんていうのは、
たいして意味がないのかもしれない
結局は、自分が子供に出会うための
ひとつのプロセスでしかないのだから


いかなる形、方法であれ、
我が子に会って成長していくことが大事でメインなのだから


それでもわたしは、
そういう小さな体験の積み重ねを



こうして自分で選んだ場所で、
出会った人々と共に
ひとつひとつ
喜びを感じていけたことは

とても有意義だと

いまでもそう思っている。



わたしの人生を彩る、
ひとつの小さな宝物がまたひとつ


いつまでも
きらきらと
箱のなかで輝き続けるみたいに


Jo, how are you?



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