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感情を感じるというシンプルな秘法

感情解放・癒し・スピリチュアルに関する実用的な記事 セラピスト向け記事もこちらに含めていきます。 月に4回更新。
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#引き寄せ

りんごのたね〜ほんとうにいいりんごは、二度と腐らない

昨日まで必要だったものが、 今、必要ではなくなる。 昨日まで大切にしていたものが、 今、取るに足らないことになる。 昨日まで自分を構成していた一部だったものが、 今、重荷になる。 それを、躊躇なく棄てていく作業は、 まったく楽ではないとわたしは思う。 そんな自分に繰り返し ショックを受けることは続くだろう。 手放すというとなんとなく やわらかい言い方に聞こえるが、 つまり「棄てる」というのは、 過去それを大切にしていた自分を含めて 切り捨てるということ

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手放すべきものを間違えない

<2016年1月分再投稿。 仕組みをしっかり理解して、手放すものを間違えないように。> 手放すべきは、 その仕事ではありません。 手放すべきは、 その結婚生活ではない。 「手放すべきもの」を、 間違えてはいけません。 ひとは、苦しくなると、 まず、その「苦しい」原因を取り除こうとします。 それ自体は自然な行為であり、 苦しみから逃れようと試行錯誤するのは当然のことです。 ただ、一旦ネガティブの環にはまってしまうと 多くのかたが 「手放すべきもの」を見誤

¥800

Desperate デスパレート。

自分軸から完全に外れて、コントロール不制御になった状態で 激しい絶望の淵にいながら 同時に焼けつくような苦しみを味わっているような カオスのなかでヒステリックに何かに執着したり とにかく地獄のなかでもがいているような、 そんな状態のことをDesperateという。そんな時が頻繁または時々訪れて苦しんでいる方はぜひお読みください。

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"I'm proud of you." 「誇り」

英語に存在し、 確実に日本語にない概念のひとつ、 それは「誇り」ですね。 言葉としての「誇り」はもちろん このように、あるにはありますが、 大それた意味での「誇り」ではなく もっともっと日常的な 「自己肯定」としての「誇り」を 自然に感じながら持ち合わせているひとは少ないのでは、と思います。 というのも、日本語でいう「プライド」は、 どちらかというとネガティブな意味をたくさん含んでおり、 「プライドが高い」とかで使われる 等身大の自分を見誤った上でのうぬぼ

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どっちでもいい(コントロールを手放す)

(2015年から年明けにかけてつきあっていた、元恋人。シリーズを別マガジンに順に上げていきます) こちらは、別れた直後に 「別れるべきか否か」ということで あれこれコメントをいただいた件について。 ○ 青森産のりんご、食べてみました。 今はなき、山下・・・・りんごを残して・・・ 山下の件について、みなさまからいろいろコメントをいただきました。 「山下かわいそうやん」 とか、 「山下でいいやん」とか、 「もし私が素直になっていたら、山下はそばにいたのか否か」

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「見棄てる」それは信頼

両親のことを憎んでいる場合。そこには依存が隠れている。 一見自立しているように見えても、根底に「依存」がある場合 なにをやろうとしても成功しないはず。 「幸せになりたい」ですか? それは、なんのため?誰のため。 もしあなたが小さい頃、「おかあさん」や「おとうさん」を喜ばせるために、 一生懸命いい成績をとろうとしたり、がんばろうとしたり、 努力をしようとしてきたなら、 いま、それを終えるときです。 「もう、大丈夫だね。 わたしがいなくても。」

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責任をとる

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感情を、感じるというシンプルな秘法

感情を出し切る、 感情を味わい尽くす ということが 癒しの過程においては 基本中の基本で

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自分にとって当たり前すぎて普通すぎて見えないことを才能という

誰もが自分の持っている才能みたいなものを 受け入れて開花していくまでに結構な道のりを経て辿り着く。 わたしももちろんそのうちのひとりで、 この仕事をして発信をして、そこである程度のひとびとが 何かしらの影響を受けていくまでは、 自分にはなにひとつ、取り柄はないのだと そう思ってきた。 別に昔から、写真をとったりとか、センスのいい音楽が好きだったりとか 料理をするのが好きだとか 日常のささやかな風景に胸をときめかせたりとか 延々と、「生きるってなんだろう」「愛って

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拾い行き着く世界

「拾う力」 「拾う力」を磨いてゆく。 何でもないように見える日常と出来事と人々のやりとりの中で、 毎日幾つもの「真理」 が目の前に現れぺこり、敬礼する。 自分のなかに小さな「気づき」が起こった後は、 「知らなかった」時の自分には 二度と戻れないようになっている。 「探す」を辞めて、耳を澄ませるようになった時、 「答え」は待ってましたと言わんばかりに降りそそぐ。 委ねる。 そしてふと、落ちてきたものに 丁寧に敬礼を返し、 拾う。 「拾い行き着く世界」

¥280