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なぜ楽太郎は笑点の司会者になれなかったのか(落語界の闇)

笑点について法人用noteで何を語ってるの!? という問い合わせが複数寄せられたので、個人用にも公開します。その分、法人用にはホー助の分析その2を提供予定です。

サンセイR&Dの笑点を掘り下げるべく、新台レポート用にあれこれ調べてみたら、全く知らなかった落語会の「闇」とでもいうような話にぶち当たりました。落語ファンの方なら当たり前の話かもしれませんが、落語家≒笑点くらいの認識だった私はえらく驚きまして。まとめてみたら新台レポートどころの話ではなくなりました。少々長いですが、どうぞお楽しみください。

なお、落語家は名跡を継いでいくため分かりにくいので、現在の三遊亭円楽は三遊亭楽太郎、林家木久扇は林家木久蔵として記載します。


1960年代・笑点初期メン

司会・立川談志
・三遊亭金遊
・林家こん平
・三遊亭円楽
・柳亭小痴楽
・桂歌丸

とんでもないメンツですわ。後の司会者が二人もいるし、そもそも司会が立川談志って、どんなブラックな大喜利をやっていたんだろう。

1970年代・お馴染みのメンバー登場

司会・三波伸介
緑・桂歌丸
黄・林家木久蔵
桃・三遊亭円窓
紫・三遊亭円楽
橙・林家こん平
青・三遊亭小円遊
運び・松崎真「手を上げて横断歩道を渡りましょう」の人

三波伸介の司会により、OPで客席からスタートする形が定着。また、歌丸と小円遊のヤジ合戦は大人気となり、寄席で二人が仲良くしていると「あれ?仲悪いんじゃないんですか!?」と言われたそうです。

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イメージを大切にしようと、それ以降は楽屋の外で仲良くするのを控えるようになります。しかし小円遊は歌丸の古典落語に心酔しており、何度も習いに通ったそうです。歌丸は新作落語に力を入れる落語芸術協会の会長なんですけど、両方で傑出しているというのは凄い話だ。


1980年代・寄席の没落と笑点の黄金期

司会・三遊亭円楽
紫・三遊亭楽太郎
黄・林家木久蔵
緑・桂歌丸
桃・桂才賀
青・林家九蔵(現在の三遊亭好楽)
橙・林家こん平
運び・山田隆夫

ネット上ではピンつま(ピンクつまんね)という別称まで付いている好楽。実は別名で青だったんです!

ピンクつまんねとは (ピンクツマンネとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
ピンクつまんねとは、日本テレビ系列で放送しているテレビ番組「笑点」でピンクの着物を着てレギュラー出演している、三遊亭好楽のこと。

楽太郎は小円遊の死去に伴い大抜擢。緊張する楽太郎に対して歌丸は「困ったらアタシをネタにしなさい」と伝え、肩の力が抜けた楽太郎は大ブレイク。小円遊の築いたヤジ大喜利を引き継ぐことに成功しました。


1990年代・メンバーの固定化

司会・三遊亭円楽
青・三遊亭小遊三
桃・三遊亭好楽
黄・林家木久蔵
緑・桂歌丸
紫・三遊亭楽太郎
橙・林家こん平
運び・山田隆夫

私にとっての笑点はこのメンバーだ!

90年代どころか1987年から2004年まで、途中ピンクと青の順番が逆になった以外はすべて同じメンバーで繰り広げられました。

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三遊亭小遊三の経歴は異彩を放っています。高校時代は卓球部のキャプテンで、東京オリンピックの聖火ランナーを務めました。山梨県でトップの選手でしたが明治大学時代に国体出場を逃し、なぜか落語家を志します。

前座時代は貧乏で、同い年の好楽の実家に居候していました。「あいつは8人兄弟だからオレ一人増えてもバレない」と言っています。好楽は好楽で全く気にせず一緒に住んでたとのことで、もはや家族ですね。実際この二人はしょっちゅう二人会を開いています。

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2010年代・ベテラン勢の離脱と代替わり

司会・桂歌丸
青・三遊亭小遊三
桃・三遊亭好楽
緑・春風亭昇太
紫・三遊亭楽太郎
黄・林家木久蔵
橙・林家たい平
運び・山田隆夫

20歳代の人たちにとってはこのメンバーでしょうか。円楽は勇退して司会者は歌丸になり、こん平は闘病生活。空いた席に春風亭昇太と林家たい平が入りました。

昇太は大河ドラマに出演したり(今川義元役)、伊東四朗や三宅裕司らの舞台に参加したり、バンドを組んでトロンボーンを演奏したりと多芸多才。落語以外の趣味を多く持っている点から歌丸の目に留まります。

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2016年。歌丸の引退後、次の司会は楽太郎と皆が思っていた中、昇太がまさかの抜擢となりました。一般的には若返りを図りたい番組サイドの方針だと言われていますが、人選には歌丸の意思が強く含まれていたそうです。

と言っても、歌丸は楽太郎と仲良しですし、楽太郎の師匠である円楽とも仲良しだった・・・・・・と言いたいところですが、ここはちょっと違う。落語界の微妙な歴史が見え隠れするのです。


落語協会分裂騒動

1978年、日本落語協会会長の柳家小さんは、プロの称号である「真打(しんうち)」の称号を大量発行することを決めます。いわく、真打こそ落語家のスタートラインであり、真打にならねば収入を得られないのだし、実力が無ければ自然と消えていくのだから問題ない。

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これに真っ向から反発したのが、大名人と謳われた、落語協会の先代会長・三遊亭円生です。真打とは落語家の目指すゴールであり、実力の足りぬ者に名前だけ与えるとは何事かと。

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円生の意見に同調したのが、人気絶頂であった立川談志。

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円生と談志は、当時「爆笑王」と呼ばれた林家三平を引き入れるべく、三平の師匠を口説き落とします。さらには「落語芸術協会」の会長であった歌丸にも声をかけ1978年5月に日本落語協会から離脱。新団体を結成しました。

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