【無料】〝在日〟の歴史
この記事は
注記
「在日朝鮮人が生まれた日 なくなる日」をnoteに書いて4年半経ちます。ちょっと長くなりますけど、ネトウヨにもリベラルにも興味深い内容かと思いますので、どうぞご一読ください。
在日朝鮮人は北朝鮮「じゃない」
在日韓国人と在日朝鮮人、その違いは分かりますか?
在日朝鮮人は北朝鮮人〝ではありません〟。
なぜなら在日朝鮮人の定義が誕生したのは1947年。
北朝鮮の建国(1948年)より前なんです。
驚かれるかもしれませんが、在日朝鮮人とか北系とか総連系とか言われる人達は、ほぼ半島南部(現在、大韓民国が統治している地域)の出身です。
その辺の話も順を追って説明しますね。
日本籍だった朝鮮人
1910年・日韓併合
ご存知の通り、戦時中の朝鮮半島は日本領、大日本帝国の領土でした。
今風にいえば「朝鮮県・朝鮮府」みたいな感じ。当然日本国籍です。
1945年・敗戦し朝鮮半島を手放す
日本は太平洋戦争に敗北し、朝鮮半島を手放します。朝鮮は独立(光復)し、当面は国連が信託統治を行うことになりました。
日本に残っている朝鮮半島出身者は、まだ日本国籍のままです。
1946年・朝鮮半島出身者の帰国輸送終了
GHQの指示により、朝鮮半島出身者205万人のうち、半島へ戻ることを希望する140万人を帰国させました(政府船90万人・民間船50万人)。
〝在日朝鮮人〟の誕生
1947年・外国人登録令
日本は1945年に朝鮮半島を放棄したため、日本に残った65万人の半島出身者は外国人扱いになってしまいます。
この65万人は、どの国の何人なのか?
1947年時点で朝鮮半島を統治してるのは国連です。まだ国家名すら決まっていません。そこで日本政府は外国人登録令を発布し、65万人の出生地を便宜的に〝朝鮮〟としました。国家名ではなく土地名としての〝朝鮮〟です。
本人に選択肢はなく、ここに「在日朝鮮人」が誕生しました。
済州島民虐殺と密航
朝鮮半島に残る済州島差別
日本に残った人達は在日朝鮮人。いずれ半島に統一政府ができればその国の国籍となる。
それなら話は簡単なんですけど、残らなかった人達、半島へ戻った人達が再び日本にやってきたため、話はややこしくなった。
朝鮮半島には根深い差別感情がありまして。
代表的なのは全羅道差別と済州島差別。
済州島はかつて独立国で、李氏朝鮮とは異なる文化だった。流刑地として扱われたこともあり、徹底的に見下されました。日本も佐渡や伊豆は流刑地だったけど、差別感情なんてある? ないよね。でも半島は違う。
そんな韓国で悲劇が起きた。
1948年4月3日、済州島4.3事件勃発
軍と警察、李承晩政権の支持者は、済州島民の2割以上を虐殺。村の7割、山林の9割を焼き尽くしたのです。
虐殺前の人口は29万人。6万人が殺され、20万人は済州島を脱出。かといって半島へ渡ったところで殺されますから、日本へ密航しました。多くは大阪へ辿り着いたといわれます。残った島民は虐殺前のわずか1/10、3万人でした。
韓国では今も済州島出身者への差別感情は根強いですし、慶尚道と全羅道の地域対立は日本人には理解できないほど強烈です。
南北分断と密航
1948年8月15日、大韓民国樹立
アメリカの支援の受けて韓国政府が誕生しました。
GHQの統治下にある日本は、大韓民国を朝鮮半島における唯一の政府と認めます。これにより朝鮮半島出身者は「日本籍の外国人(朝鮮)」→「韓国籍の外国人」へ変更できるようになりました。
しかし、当時の世界はアメリカとソ連が対立し、資本主義vs共産主義(社会主義)の様相を呈していました。半島も4ヶ月前の済州島事件の余波で政情不安。韓国籍を選ぶ人は少なく、引き続き日本籍の外国人(在日朝鮮人)をチョイスします。
1948年9月9日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)樹立
ソ連の支援を受けた金日成により、半島北部に共産主義国家が樹立しました。朝鮮半島は南北に分断されます。
1950年・朝鮮戦争による密航
米ソの代理戦争、朝鮮戦争が勃発。当時の経済力は圧倒的に北朝鮮の方が上で、韓国は一瞬で経済的に困窮しました。ここで経済難民として日本への密航が発生します。
日本の敗戦から5年。引き上げ船からわずか3年なので、親戚や友人知人を頼れば日本でも生活できると考えたんですね。
1950年・韓国政府による虐殺で密航
韓国は李承晩大統領の元、国内にいる共産主義者を徹底的に弾圧します。
なんと民間人114万人が虐殺されました(保導連盟事件)。
共産主義者は北へ逃れようとしましたが、すでに朝鮮戦争は激化しており、国境を越えられません。しかし南に残っても殺されてしまう。
済州島民に続き、真っ赤に燃える共産主義者の若い男性達もまた、日本にいる同胞を頼り密航したのです。
日本籍の消失と特別永住許可
1952年・サンフランシスコ講和条約
サンフランシスコ講和条約により日本は国際社会へ復帰。正式に〝朝鮮〟の独立を承認します。「朝鮮人は朝鮮半島の国家に帰属する民族」と法的に定義され、日本と完全に切り離されました。
問題なのは「朝鮮半島の国家」ってどこやねんと。当時はまだ朝鮮戦争の真っ最中で、韓国と北朝鮮、どっちが「朝鮮半島の国家」とも言いがたい状況です。半島を代表する統一政府への国籍移動ができない。
日本は大韓民国を統一政府として帰国を打診しますが、なんと韓国政府は在日の引き受けを拒否します。
理由は主に二つ。
在日は、国籍国もなければ住む国もない民族となってしまったのです。
そこで日本政府は当座の処置として、日本国籍の外国人から朝鮮籍の外国人とした上で、統一国家誕生までは特別な資格無しでも日本に在留できるようにしました(永住資格)。
1953年・朝鮮戦争休戦
38度線を停戦ラインとし、韓国と北朝鮮は休戦しました。
さあ在日同胞は韓国へ帰りましょう!・・・とはならなかった。なぜなら韓国は朝鮮戦争で焦土と化しており、仕事もなければ食料もない。逆に日本は朝鮮特需で好景気。在日朝鮮人は日本に残る選択をしました。
生活基盤を作れたのにわざわざ帰国する在日はおらず、むしろ韓国から命がけで密航してくる人が増える始末。日本政府は、新たに密入国した韓国人にも「特別永住資格」を与えました。
1955年・北朝鮮への帰還事業
1955年、ついに密入国者は100万人を超え、収容施設は完全にパンク。韓国政府は引き受け拒否し続けるため、日本政府は頭を痛めます。
そんな時、北朝鮮へ帰国しようとする運動が起きた。
当時は北朝鮮の国力は韓国を凌駕していたため、日本での貧しい生活から抜け出したい在日朝鮮人は帰還事業に参加します。
日本政府もこれ幸いと後押しした。
「在日朝鮮人の北朝鮮への帰還」と聞けば、半島北部出身者を送ったと思うじゃん。違うのよ。上述の通り、日本にいる半島出身者はほとんど南部生まれ(ほぼ密航者)。つまり、韓国民を北朝鮮へ送ったようなものなんです。
「朝日新聞が『北は地上の楽園』と報じたんだ!」という保守派もいますけど、読売も産経も北朝鮮の躍進を伝えています。当時は共産主義国家こそが人類史において最先端だったからね。
1980年代まで続いた帰還事業で北へ向かった在日は9万人を超えます。日本人妻も2000人近くいた。
貧乏からの脱出を夢見て帰国船を降りた日本人妻は、歓迎する北朝鮮人民の服装が自分より遥かにボロボロなのを見て「とんでもない所に来てしまった」と感じたそうです。
帰還者の身分は最低ランク。日本への再帰還なんてできるはずもなく、都合のよい労働力としてコキ使われました。
閑話休題・在日朝鮮人なのに日本に忠誠を誓った人達
在日朝鮮人・在日韓国人の多くは密航者ですけど、戦後、一旦半島へ帰ることなく、日本へ強い愛国心を持って残った人達もいました。
在日第一世代には、日本人として太平洋戦争を戦うことを誇りに思い、天皇陛下万歳を叫び、皇国のため粉骨砕身し、大和魂を持って日本に残った朝鮮人がいる。高い国家観と忠誠心を持つ人達です。
彼らは、天皇陛下とのつながりを断ちたくなかった。日本とのつながりを持ち続けたかった。韓国籍なんていらない。帰国する気もない。ただひたすら〝日本人〟でありたい。ゆえに、日本が統治した〝朝鮮〟の籍を捨てず、日本に骨を埋めました。
もちろん彼らは共産主義でもなんでもありません。北朝鮮とも無関係。現在はほぼ他界し、子孫は日本に帰化しています。
ごく少数ではありますけど、かつてはそんな「在日朝鮮人」もいたことを覚えておきたいですね。
〝在日韓国人〟の誕生
1965年6月22日・日韓基本条約調印
日韓法的地位協定により〝在日韓国人〟の法的地位が決まります。韓国籍を申請した人は「日本に住む韓国人=在日韓国人」となりました。
しかし彼らはもともと日本国民(大日本帝国臣民)ですし、敗戦から20年もずっと日本に住み続けてる。そこで政府はこれまでの在留資格より優遇される「協定永住」を付与し、日本での永住が許可されました。
韓国籍を選ばなかった在日朝鮮人は、そのまま古い永住資格のままです。
1991年11月1日・協定永住と永住資格を一本化
在日韓国人の協定永住と、在日朝鮮人の永住資格を一本化し、特別永住許可(特永)となりました。
特永は一般の永住許可と比べ大きく優遇されています。例えば永住許可は素行良好で生計を立てるだけの資産を求められますが、特永はそんなもん無関係。国家レベルの重大犯罪でも犯さない限り強制退去になりません。
その後、小泉訪朝により北朝鮮は拉致を認めます。同時期に朝銀も破綻したことで、物心両面で在日朝鮮人は追い込まれました。結果、朝鮮籍を捨てて韓国籍へ移る人が続出しました。
在日といっても様々
保守派が嫌悪する〝在日〟ってどれですかね。たぶんきっと、こんなに分かれてることを知らず、全部ひっくるめて「帰れ!」と言ってるんじゃない?
在日コリアンには、自民党支持者もいれば民主系支持者もいる。参政権を求める人もいれば、気にしない人もいる。今後も帰化が進みつつ共存していくことになるでしょう。
朝鮮半島で統一国家が誕生した場合、どうなるんでしょうね。おそらく特別永住許可は廃され、他国と同様の永住許可になると思われます。もちろん強制送還は無いでしょう。その時初めて〝在日〟の戦後が終わるのかもしれません。
パチンコホールと在日
かつてパチンコホールのオーナーは、
と言われていました。これって別に統計があったわけじゃなく、肌感覚なんだよね。個人的には台湾系ほかは0.5で、朝鮮系は3.5~4かなって感じ。
今も統計なんてありません。あれこれ聞いてみると、
って感じらしい。
もはや7割日本人。
そもそもなんでパチンコホールに在日が多いかってーと、戦後、いわゆる「まともな仕事」に就けなかったから。かつてユダヤ人も「まともな仕事」に就けず、卑しい職業とされた金融業や芸能へ活路を見出しました。
在日の多い職業として有名なのは、パチンコ、し尿処理、くず鉄、サラ金などかな。日本人はやりたがらなかったんだよね。あとは焼肉屋か。
有名な話ですけど、孫正義の親族は九州のパチンコホールでした。
高度経済成長までの日本は一次産業を主力としていました。農業や漁業、林業は日本人の利権。在日の入る隙は無かった。ゆえに一次産業を祖業とするホールはほぼ日本国籍です。
僕は、パチンコもバキュームカーもくず鉄もサラ金も必要な仕事と確信しています。在日「だから」となんでも批判する人達は、ユダヤ人「だから」と批判し、虐殺した、欧州の差別主義者と同じじゃないかな。
おわりに
書き上げるのに11時間かかっちゃった。自己最長かも。年末まで毎日更新すると宣言したその初日にこれですわ。
・・・それでも書いてよかったな。
僕は日本人ゆえ、在日コリアンの深い部分や心の奥は分かりません。今回書いたことも間違いを含んでいるかもしれない。それでも、何も知らず「自分は愛国者だから!」と、愛国を免罪符にヘイトを飛ばす人間にはなりたくないのですよ。
なにより、在日コリアンがいなかったら、僕が生涯を捧げるパチンコ業界は大きくなれなかったんですから。その一点に対する感謝は忘れないようにしたいんです。
ネトウヨですけどね。
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