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最も成功した在日韓国人「シンキョクホ」祖国に尽くすも・・・

韓国10大財閥ランキング

辛格浩(シン・キョクホ)、日本での通名は重光武雄(しげみつたけお)。先日他界した、ロッテグループの創業者です

日本では「お口の恋人ロッテ」「千葉ロッテマリーンズ」と、プロ野球チームを持つお菓子メーカーとして有名ですが、韓国では経済を牛耳る10大財閥の5番目として君臨します。

5番目といってもランキングはこう。
総資産は円換算(10ウォン=1円)

1位・サムスングループ・36兆円
2位・現代自動車・22兆円
3位・SKグループ・17兆円
4位・LGグループ・11兆円
5位・ロッテグループ・11兆円
6位・GSグループ・6兆円
7位・ハンファグループ・6兆円
8位・現代重工業・5兆円
9位・韓進グループ・3兆円
10位・斗山グループ3兆円

5位と6位の間に大きな壁があると分かります。実際、6位以下はコロコロ変るので参考値としてみてください。かつては大宇(デウ・DAEWOO)という巨大財閥もあったのですが、IMFにより解体させられました。


ロッテの輝かしい歴史

1940年・韓国での栄達を諦め日本へ渡る
1945年・早稲田大学卒業の2ヶ月後に「ひかり特殊化学研究所」を創立。石けんやポマードを販売して成功を収める。しかし、資生堂、コーセー、カネボウらが販売店を組織化し収益悪化
1948年・ロッテ設立。チューインガム製造

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1957年・グリーンガム大ヒット
1960年・クールミントガム大ヒット
1964年・チョコレートの製造を開始。ガーナミルクチョコレート大ヒット
1969年・キャンディの製造を開始。ココロール、小梅などがヒット

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1971年・プロ野球球団ロッテオリオンズ誕生
1972年・アイスクリームの製造を開始。イタリアーノ大ヒット
1974年・クランキーチョコレート
1976年・ビスケットの製造を開始。マザービスケットがモンドセレクション金賞を受賞

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1979年・パイの実
1981年・雪見だいふく
1983年・コアラのマーチ
1985年・のど飴
1986年・ビックリマンチョコ
1989年・韓国ロッテワールドオープン

注目したいのは1972年のアイスクリーム事業の参入です。爽やモナ王、クーリッシュで業界首位をひた走るロッテですが、当時のアイスは雪印乳業、森永乳業、グリコ協同乳業、明治乳業、赤城乳業と、牛乳を取り扱う会社ばかりで占められていました。そらそうだよね、アイスクリームなんだから。

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ロッテはそこへ菓子専業メーカーとして戦いを挑んだのよ。これってちょっと凄い。当時の雪印なんて圧倒的なガリバー企業だったのに、そこへ喧嘩を売った。後に雪印は不祥事により会社は解体しましたが、アイスクリーム事業を買い取ったのは、なんとロッテなんです。


日本から韓国への一方通行

日本で大成功を収めた重光武雄は、事業の軸足を韓国へ移します。在日一世である重光の祖国愛は強く、大韓民国を強く発展させたいという思いを抱いていました。また韓国も、朝鮮戦争で傷つき、経済力で先行する北朝鮮を追い抜こうと重化学工業に力を入れている最中でした。

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しかし、石油化学はLGに、製鉄はポスコに先を越され断念。日本で成功を収めている菓子と、観光立国を見据えたホテル業で、主に国民目線での発展を開始しました。

ロッテは日本で立ち上がり、韓国で大成功したわけですね。今やロッテ百貨店は世界5位、ホテルはアジアで3位、石油化学でも世界10位以内にランクインする巨大コングロマリットです。重光の願ったとおり、ロッテは大韓民国の発展に寄与したのです。

重光武雄は生前、「韓国ロッテは日本で稼いだ金で立ち上げた。その後も日本で稼いだ金を韓国に投資したが、韓国で稼いだ金は一度も日本に持って行くことはなかった」と語っています。

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