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【7月12本目】これから親を介護する方へ伝えたいこと・初期~中期

先日、小さなお葬式について書きました。今回は介護についてです。

介護は戦いであり、必ず死ぬ以上、勝利など存在しない。ただ、介護をする側、残される遺族の側に〝やり切った感〟さえあれば、心の痛みは軽減されるし、一定の勝利と言えると思うんですね。

焼骨となった母を前に、僕と妹は葬儀場のスタッフと会話しました。母の骨量は多いんですか? 焼いてる途中で生き返る都市伝説って本当ですか? 骨になってからトラブルになる家はありますか? などなど。そんな風に聞かれることは少ないのか、スタッフさんは食い気味に、楽しそうに、色々と話してくれました。

それを聞いていた葬儀屋セレモの担当者は、「お骨を前に笑顔でいられるのは本当に素晴らしいことです。やりきったんですね」と言った。

そうか、僕達は笑顔だったのか。

すい臓ガンの発覚から2年3ヵ月。寝たきりになって2ヵ月。確かにやりきったし、骨になった母へ語る言葉は「お疲れ様、ありがとう」だった。

そこで今回は勝利に向けた戦略を考えてみたいと思います。長くなりそうな場合は2回に分けるかもしれません。


死ぬまでの全体戦略

まず、介護について2枚の写真をご覧ください。

【思い描く介護】

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陽光差し込む明るい部屋。整った布団。肌つや良く微笑む親。明るく話しかける介護者。余分な物のないベッド周り。アイロンのかかったパジャマ。

【現実の介護】

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薄暗く、空気のよどんだ部屋。寝る向きを変えねばならぬため乱れる布団。食事を取れず血行の悪くなる肌。24時間つながる点滴。痛みでゆがむ顔。空間の一点を見つめる生気の無い目。嘔吐するためベッド周りには洗面器やタオル。洗濯と着替えのローテーションでシワだらけのパジャマ。

こんな状況でも、看護師からは「素晴らしい」と褒められるレベル。

理想と現実には圧倒的な差があります。

綺麗事なんて言ってられないし、綺麗にし続けるのは難しい。

緑と陽光の中で、斜め上を見て笑い合う姿なんて、無いから。

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むしろ元気じゃねえか。


介護は、戦略

2年チョイを振り返ってみると、どこで、いつまで、誰が、どのように介護するのか、全体を決めておいたのは良かった。もちろん現実は思い通りにいきませんけど、終末期の介護における〝迷い〟はずいぶん軽減されました。

死へ至る道は、ガンのような「急速に死ぬ」パターンと、認知症のような「徐々に死ぬ」パターンがあります。

グラフにするとこんな感じ。

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