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【無料記事】ソニー元社長・出井伸之 死す

出井伸之の光

ソニーの元社長、出井伸之氏(以下、敬称略)が亡くなりました。まずは心よりご冥福をお祈りします。

全ての日本人が知る大企業にあって、14人抜きの大出世で社長となった人物。ものづくりの行き詰まりで赤字にあえいでいた会社を改革し、「世界のソニー」に再度の栄光をもたらした人物。

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確かに日本の電機メーカーで、出井ほど早くインターネットの可能性を見出した人物はいなかったし、スタイルは良く英語は堪能。当時大学生であった自分には光り輝いて見えました。

アナログからデジタルへの転換を促すべく〝デジタルドリームキッズ〟を標榜し、経営改革に乗り出す姿勢は、世界を代表する経営者として表彰されました。

彼は、旧態依然としたソニーの事業部制を改革し、本社に権限を集中させます。今でいうコンプライアンスを徹底させ、委員会設置会社となり、先進的経営を導入しました。ソニーを「コンテンツ会社」へ脱却させた人物でもありますね。

本人の格好良さだけでなく、ある種の美学も持っていた。それを結実させたのが〝VAIO〟です。事務機器臭のただようノートPCに、色と、音と、映像をもたらしました。当時を知ってる人なら分かると思いますが、VAIOの登場は衝撃だった。

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〝AIBO〟も出井時代に生まれました。

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アナログからデジタル、モノから情報・コンテンツ。ソニーは出井の登場で栄光を取り戻します。

当時16,000円を超えた株価は、未だに破られていません。

・・・と、賞賛されるのはここまで。

7000文字近い長文となりますが、出井伸之の闇の部分にフォーカスします。


自由闊達にして愉快なる理想工場

学生時代、就職活動に備えて読んでいた日経ビジネスに、こんな記事が掲載されていたのを思い出します。

「ソニーには部署をまたいだ活動がある。終業後、会議室に別部署の人間が集まり、手持ちの技術で新しいことが出来ないかを深夜まで語り合う」

「創業の理念である〝理想工場〟が受け継がれてきた」

「出井社長はそんな〝ワイガヤ〟活動を、電気代の無駄だと禁止した」

理想工場とは
創業者の一人・井深大が記した設立趣意書、創立の目的の最初にある一文。「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由豁達にして愉快なる理想工場の建設」。

V字回復をもたらした出井改革とは強烈な事業整理であり、儲かっている事業でさえ、効率が悪いとなれば切り捨てました。

創業時に「リストラはしない」としたソニーにあって、出井は米国型経営を標榜し大規模な人員整理を慣行します。〝キャリア開発室〟という名の追い出し部屋を作り、切った首の数は8万人。

マクドナルドの社長になった原田泳幸も同じ。業績をV字回復させて賞賛されたものの、実体は質の悪いリストラで、企業としての力は根こそぎ奪われ、墜落しました。アメリカ流の経営をいきなり持ち込むと、日本企業は軋轢とモチベーションの低下で行き詰まります。短期的な業績は向上するものの、続かない。

結果、出井は〝ソニーショック〟をもたらします。


ソニーショック

リストラによる短期底上げが尽きた結果、ソニーの業績は悪化しました。年間の想定利益を大幅に下回っただけでなく、直近四半期の業績は赤字へ転落。

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直接の原因はテレビ事業の不振です。

ソニーの主力商品はブラウン管のトリニトロン。世界を圧倒する技術力を持っており、収益の柱でした。これが落ち込んだ。

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訃報後のコラムを読むと、「出井こそソニーをアナログからデジタルへ転換させた偉人」とのテイストですが、出井は「テレビはブラウン管優位。液晶テレビの時代は来ない」と断言していました。

証券市場では、大企業と思えぬほどの売りが殺到し二日連続ストップ安。同業他社やIT企業にまで売りは連鎖します。

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出井を「日本のスティーブ・ジョブズ」と持ち上げる人もいますけど、全然違う。ジョブズは作った商品を気に入らないと1から作り直させました。かんしゃくを起こし、開発者を徹底的に罵倒し、大いに嫌われた。

しかし、だからこそ芸術品のような製品も生み出せました。

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出井は商品に対して愛着を持ちませんでしたし、本人もそれを認めています。彼が得意としたのはビジョンを語ること、目立つナニカを始めること。そして、短期で儲からない事業を捨てることです。

ソニーが持っていた有機ELの基礎技術を韓国に売り渡したのは、その象徴でしょう。

出井が求めたのは自身の先進的な経営者像でしかなかった。厳しい言い方をするならば、ジョブズとの差は「哲学とカッコツケの差」です。

だから出井は過去を盛んに美化します。

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「もし僕がいなかったらアップルは~」なんて、ジョブズが言いますかね。

現場の自由闊達な〝ワイガヤ〟で生まれる革新的な取り組みを潰した結果、新しいモノを生み出したい人材は次々に辞めていきました。

本部主導の企画は消費者の要望からかけ離れ、出井の方針を理解する人もいない。

そもそも彼自身の興味は商品ではなく〝ビジョン〟であり、理解できない人を見下した。

ソニーはどんどん売れないメーカー、儲からない会社になっていきました。


出井が憎んだ人物、憎んだ部署

出井さんはソニーをコンテンツの会社にしたんだ! なんて意見は定番中の定番ですけど、出井の社長就任前からソニーはコンテンツの会社でしたよ。

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音楽のCBSソニー(現ソニーミュージックエンタテインメント)、映画のコロンビア(現ソニーピクチャーズエンタテインメント)、プレイステーションのソニーコンピュータエンタテインメント。これらコンテンツ会社を出井の功績とするのは無理がある。

そもそも出井の天敵は、ソニーグループ内、コンテンツ部門にいたんです。

男の名は丸山茂雄。

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ソニー中興の祖・大賀典雄はバリトン歌手であり、音楽に対して強烈な想いを持っていました。大賀は1968年にCBSソニーを設立し、丸山はここに入社。1978年にEPICソニーとなったあたりで丸山の才能は花開きます。

佐野元春、大沢誉志幸、鈴木雅之、渡辺美里らから慕われ、TMネットワークを送り出し、90年代は小室哲哉のマネージャーとして大活躍。ソニーミュージックエンタテインメントの社長となります。

活躍の場は音楽だけでなく、後にプレイステーションを生み出す久夛良木健を見出します。ソニーコンピュータエンタテインメントの設立に大きく関わり、後に同社の取締役会長となりました。

ソニーにおけるコンテンツの帝王、それが丸山茂雄だったんですね。

そんな丸山の出井評は辛辣を極めます。

「単なる凡人」
「自分が何もできてないことに対して反省しない男」
「自分が優れていると思い込んでる凡人」
「何かの本を読んだだけで影響を受けちゃって、しかもそれを自分のアイディアのように吹聴する」
「デキのいい部下の話を聞きたがらない」
「ソニーの社長を務める器ではないと考えてくれればよかったのに、長く座り続けてしまった」

もう、ボロカス。

丸山茂雄は、かの〝丸山ワクチン〟を作った丸山千里の長男です。実家は裕福。本質がクリエイターですから、面白いかどうか、楽しいかどうかに価値を置きます。上司への反骨心、時代への反骨心を見せる部下を「面白い」と引き上げ、仕事を任せ、大成させました。

アメリカ流の経営を是とする出井は、丸山のことを毛嫌いします。「反骨心だとかなんだとか、原始的な次元で経営したいなら自分でベンチャー企業を起こせばいい。彼は企業の経営者になりきれてないんだ」とこき下ろしました。

電機からコンテンツへの脱却を図る出井と、まさにそのコンテンツで日本の音楽産業・ゲーム産業を引っ張った丸山。同じソニーにいながら最後まで手を握れなかったのは、〝日本の損失〟と言っても過言ではないでしょう。


なぜ出井は14人抜きで社長になれたのか

出井と丸山、どちらが正しいかは分かりません。ただ、第5代ソニー社長・大賀典雄がマスコミに放った一言は衝撃でした。

「出井を社長に指名したのは、消去法」

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消去法て・・・。

なぜ消去法だったのか。

いずれトップに立つと思われていた、創業者・盛田昭夫の長男は事業に大失敗し(スキー場経営・高級リゾート経営)、大量のソニー株を売却してしまいます。

もう一人の創業者である井深大は、そもそも息子に継がせようとしておらず、娘は知的障害。

大賀の後継者とされていた人物は文春砲で刺され、2番めの候補者も何かで失敗した。

結果、見栄え良く、口八丁でマスコミ慣れしている出井にお鉢が回ってきたんです。

丸山いわく、「大企業の社長になる準備も覚悟もない人間に、ある日突然、ポストが降ってきてしまった」。

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出井は、創業者の盛田昭夫(写真左。右は井深大)と親しく、盛田家へよく遊びにいってました。そこで盛田の長男に「欧米の経営とはこういうもの」と教育していきます。

その姿を頼もしく見つめていたのが、盛田の妻である良子(写真左)でした。

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彼女は昭夫の死後、ソニーの経営に口を出し続け、社長の大賀をたびたび自宅へ呼びつけます。

ソニー社内では〝ミセス〟の通り名で聖域化。苦虫を噛み潰した表情で盛田家から出てくる大賀の姿が何度も確認されています。

大賀の後継を決める際、良子は出井を推しました。息子の教育係を努め、英語の堪能なイケメン部長こそ「世界のソニー」の看板に相応しいと考えたのですね。

後継候補が軒並み消えてしまった。〝ミセス〟の意向がねじ込まれる余地を生んでしまい、選ばれたのが出井だったと。

これが〝消去法〟の裏側です。


死後の異様な賞賛

出井の死後、彼を賞賛するコラムが大量に投下されています。故人を悪く言わないのは日本の伝統であるとしても、良い部分だけ強調するのはさすがに違う。

故人を偲ぶにしても、功罪併せ持つなら、両方を伝えるのが普通です。田中角栄の死後に、日本列島改造! 東北上越新幹線! 日本が生んだ英雄! とだけ賞賛するのはおかしいでしょ。

「田中角栄は金権政治家として負の面は大きかった。それでも日本の隅々に経済成長の果実をもたらした」と、両面伝えるからこそ光り輝く。

なのに今、出井に関するコラムはこんな感じです。(中身は大したことないのでタイトルだけお読みください)

週刊ダイヤモンドから日経ビジネス、東洋経済からマネーポストに至るまで、死後数日でよくこれほどの賞賛コラムを用意できるなと驚かされます。出井の功績、愛読書、教養、感性、彼の遺作と、全方位ベタ褒め。

しかし、これらのコラムはすべて、ソニーで働いたことのない人、もしくは、すぐに辞めた人が書いているんです。


「今のソニーは出井が作った」のは本当か

ソニーショックを経ても出井はソニーに残り、会長、アドバイザリーボード議長の役職にしがみつきます。後継に指名したハワード・ストリンガー(元ジャーナリスト)と二人で共同CEOとなり、ソニーで院政を敷こうと画策。

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しかし、日本で初めて導入された執行役員制度が機能し、出井の野望を阻止します。皮肉なことですが、「アメリカ流のガバナンス」を目指して制度を導入したのは出井自身。彼は、自分が作った統治機構により、ソニーを追い出されたのです。

執行役員制度を導入する際、副社長、専務、常務らは肩書きを全て剥奪されました。何のフォローもしない出井を見て、士気の低下を危惧したのが大賀。各役員の妻あてに直筆の手紙を書き、これは降格じゃないよと伝えたそうです。大賀と出井とでは、人間の厚みが違った。

出井の後を継いだストリンガーは業績をさらに落とし、栄光のソニーは地に落ちます。

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「ソニーは赤字と首切りしかできない会社」と言われました。


出井・ストリンガーでぶっ壊されたソニーを救ったのは平井一夫。ボロボロだった事業から、儲けの種を細かく拾い上げます。

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平井はもともとソニーミュージックエンターテインメントの人間であり、丸山茂雄の部下です。丸山はプレステ事業を成功させた後、ソニーコンピュータエンタテインメントのアメリカ法人へ平井を送り込みました。

平井は、プレステの父である久夛良木健の後を勤め上げ、アメリカ法人を軌道に乗せました。敵を作らないタイプであったためか、退任が確実視されていたハワード・ストリンガーの懐にも入り込みます。

丸山・久夛良木・ストリンガーの3人から推される形で、平井はソニーの社長となりました。


ソニーミュージックの明るい雰囲気で育った平井は、暗く沈む大ソニーの改革に着手します。

プレイステーション2でシェアを握っていたゲーム事業を維持しつつ、好調な銀行・損保・生保の金融部門から当座の利益を確保します。

社内で傍流だったイメージセンサー技術(CCDやCMOS)に着目し、半導体事業をコア事業へ昇格させます。ここに手厚い予算を付けたところ、大当り。ソニーのイメージセンサーはiPhoneやAndroidスマホに広く搭載され、大輪の花を咲かせたのです。

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もしも出井体制だったなら、有機ELと同じように韓国企業へ売却されていたかもしれませんね。

ちなみに平井は、サッカー中継でおなじみのジョン・カビラと大親友です。


出井と平井

上述の通り、平井一夫はエンタメ出身。音楽とゲームで出世した人物です。出井と同じように英語が堪能で、〝電機〟に限界を感じていたのも同じ。しかし、平井と出井は、その人となり、根回し、説明上手な点で大きく異なっていました。

VAIOをソニーから切り離し、電機の割合を減らすと決めた際は、エレクトロニクス系のOBから強い叱責を受けますが、平井は社内を根気よく説得し、時間をかけ、ソニーの事業構造を変えていきます。

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平井の社長在任期間は2012-2018年

何かがコケても他でカバーできる体制を作ったのは平井だと分かります。テレビ(電機)でコケてソニーショックを招いた出井体制を見たからこその転換だったのでしょうね。

平井はコンテンツを大切にし、アニメ事業にも力を注ぎます。彼自身は2018年に勇退したものの、翌2019年、ソニーの100%子会社アニプレックスが、鬼滅の刃で日本中に大ブームを巻き起こしたのです。

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↑ウォークマンと鬼滅の刃のコラボ商品。アップルはiPodを捨てましたが、ソニーはウォークマンを続けるようです。

よく「今のソニーがあるのは出井の蒔いた種が実ったから」なんて言う人を見かけます。確かに出井は種を蒔いた。アニプレックスができたのも、出井時代ですしね。

しかし、彼の〝種〟は、豆まきのようにばら撒いただけです。土を耕さず、水をやらず、肥料も与えていない。開花させたのは平井一夫であり、現社長の吉田憲一郎です。

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吉田は証券業務や財務のエキスパートで、クリエイター色の強い平井の後釜にピッタリの人材。かつて、出井の社長室長を務め、その失敗を間近で見てきた人物でもあります。


吉田は平井の意思をくみ取り、ソニーの事業構造を見事にバランスさせ、史上最高益を達成しました。

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21年度の営業利益を見てよ。ゲーム&ネットワークで3400億円。音楽・映画・家電が全て2100億円。イメージセンサーと金融がどちらも1500億円。ものの見事にバランスしています。

これを「出井のおかげ」とするのは無理がある。「平井のおかげ」ならわかりますけどね。

そもそも、本当に出井の功績が大ならば、吉田は出井をソニーに招いてますよ。かつて直属の上司だったんだから。しかし出井は招かれなかった。一方の平井はソニーグループのシニアアドバイザーとして残ってますから、その事実が全てを物語ってるんじゃないかな。

・・・話はここで終わらない。

忘れもしない2011年のこと。ソニーに戻れなかった出井は、なんと中国のレノボで社外取締役に就きます。東日本大震災の発生から半年。日本を見限ったのかは分からないけど、多くの情報がレノボへ流れたのは確実でしょう。

そして最後まで「日本はダメだダメだ」と、呪詛を吐き続けました。


おわりに

ソニーの製品は、僕にとって憧れそのものでした。中学時代はHITBIT。高校時代はウォークマン。大学時代はVAIOやMDプレーヤー。携帯電話はソニーエリクソン。だからこそ出井時代の凋落は見るに堪えなかったし、賞賛一色のメディアに反発を覚えます。

役員14人抜き、文系かつサラリーマンの出井が華々しくデビューしたとき、デジタル時代の到来だとトキメキましたけど、〝It's a Sony〟を捨てると言い出したあたりから、あれ、この人はちょっとおかしいぞと思い始めます。

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ソニーだけでなく日本の大企業から総スカンを喰らい、レノボの社外取締役になってからは「日本のITはダメだ」「日本の政治はダメだ」と言い続けました。その姿に、かつての格好良さは微塵もなかった。


ただ、代表者ごとの業績を見ると、出井は最初の3年が素晴らしすぎた。ソニーショックの時も、赤字なのは第4四半期だけで通期は黒字。経営者失格の烙印を押すのは(この時点では)早すぎる気もします。

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本当のクソはストリンガーでしょうね。赤字とリストラをひたすら繰り返していました。

もっとも、ストリンガーを米ソニーへ入社させ、自身の後継者として会長に据えたのは出井ですから、やはり出井の罪は大きいと言わざるを得ません。

ちなみに株価はこんな感じ。

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2022年1月には15000円をつけ、出井時代を抜くか!?と思わせましたが、現在は12500円前後。まだ及びません。

それでも、ITバブルのような外部要因ではなく、業績を積み重ねながら上がっているため、いずれは高みへ到達するんじゃないかな。

がんばれ、僕らのソニー。

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