ことばが残る
掃除してきよめるとき、私は吉田兼好の徒然草、十九段の
閼伽棚(あかどの)に菊、紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあわれなるべし。
という一節をいつの間にが唱えてる。
彼が、山奥を歩いていると人知れずきよらかな草庵に住んでいる人がいた。いいなって思った。
冒頭の閼伽棚とは仏花や水をそなえたりする棚らしい。その語感がいいので頭に入ったんだろう。
実は、文章はその人が近くのミカンを盗まれないように厳重に柵で囲っていて白けたと続く。
普段はその結末を思い出しもしないけど、それを含めて海岸の砂山を築くような掃除のむなしさ、誰かにほめてほしいと思う滑稽さを含めた頭の操作なんだと思う。
昔の古典は声に出して唱えるのでリズムが良く、頭に引っかかる。
最近の若い人にとっては、頭に意味が分からず浮かぶのはマンガのセリフみたいだ。
たぶん、絵巻物からの伝統の上に漫画があって、セリフが詩文化されているからだろう。オノマトペをいかにかっこよく絵画化するのも漫画家の腕だろうと思う。
読むという作業を経なくて、音楽の歌詞がこびりつくってこともある。
言葉をリズムをもって唱える。そうすることで意味が体に沁みとおってくる。
自分の話をしみこませたいとき、人はリズムのあることば、詩を奏でる。そうすることで感情が共有されるのだ。
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