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淡路島と私の歴史2

西宮市に廣田神社という神社がある。淡路島の広田氏というのは、廣田神社の淡路島の領地、広田の平安時代の管理人だった。

廣田神社は、大河ドラマ「光る君へ」に出てくるキーパーソン花山天皇の皇子の子孫が管理し、その生活を維持していた。
何故なら、これから訳ありな事件ばかり起こす天皇の子孫なので政治に関わることが出来ず、源氏を名乗れず諸王だったので神社の仕事をしたらしい。
それを知ったのは、吾妻鏡に広田が梶原景時一家に四国に渡るとき掠奪されたからだ。そこに彼らの由来があった。
頼朝は廣田神社の人の個人的な知り合いなんでかなり気を使ったらしい。
私は洲本市広田地区の広田氏の子孫だ。

広田氏はセンゴク権兵衛の漫画にも出てくる。島以外の他の地域から来た海賊衆の支配から逃れるため、淡路十人衆という地侍が立ち上がり秀吉の軍隊を洲本城に引き入れた。そのときの広田文書というのが残っているらしい。

彼らは次の領主である脇坂淡路守のとき、朝鮮の役に投入され、ほぼ本流は朝鮮半島て絶えたらしい。
この頃、淡路の住民は入れ替えってるらしい。私の母方は阿波徳島からの移民だ。

やはり、歴史を調べた父によると広田氏は国造だったらしいが、古代からずっと続いておるわけではない。住民の入れ替わりが激しい地域だ。

その地には弥生時代の遺跡があり、古い古代風の習俗が残っているらしい。
それを知れて良かった。

私がたった一度参加した法事で、子孫を名乗る曾祖母が残していた平安時代からの古い形の硬い木の双六盤を大人も子供もまじえて皆で遊べたのが一生の思い出だ。楽しかった。

阪神淡路大震災で壊れてしまった父の実家の唯一の楽しい一族での思い出だ。

そして、ひいおばあさまは私が生まれたときにかつての昭和電工の株券をちょっぴり下さった。らしいよね。それが今も毎年一万になっている。

祖父の実家跡です。地震でなくなりました

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