正岡子規 明るさのなかの寂しさ
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規にすごくひかれていた。図書館で全集があり、この俳句と、それに付随する随筆で、お寺に入らなければならない小坊主と幼なじみの恋愛が描かれていた。それで小学校のころ大阪から法隆寺に行った。
今回、調べてみると正岡子規は法隆寺に行ってないそうだ。
その時もちょっと陳腐だなって思ったけど、小坊主の恋愛もまるきりの嘘だ
東大寺まで行ったが、結核が悪化して奈良旅行を引き上げたというのが真相らしい。随筆はあったんだろうか。青空文庫になかった。
それでも、法隆寺まで行ってしまったのは、のんきの中にある仏門に入る、死に近づく決意のようなものにうたれたからだと思う。
両親は小学生がひとりで奈良まで出かけても気にもとめなかったぐらい忙しかったし、私に興味がなかった。
先年、上野の美術館に現代美術を見に行ったが面白くなかった。
それで思いついて鶯谷の子規庵に行ってみた。
そこにも柿食えばの句が飾ってあったのだった。多くの人が思い出すのどかな俳句なんだろう。
子規庵は窓ガラスが多く明るかった。思った以上に広くて良い調度であったそして、あっけらかんとした明るさに満ちていた。
この部屋の後ろに小さな妹の部屋があり、彼の看病は暗く厳しいものだったのだろうなと、その明るさを支えた人たちのことを思った。
呉かあらむ春の杣山灯をともす
正岡子規は明治の人である。最初は博士になりたいとか大将になりたいとか無邪気に夢を見ていた。呉に日露の従軍記者をした友人に送った俳句。
呉から満州に一緒に行きたかったらしい。明るいけどまずい俳句だと思う。
春風やまりを投げたき草の原
野球も大好きだった。
また、隅田川沿いの長命寺桜もちの山本屋に下宿し桜餅の宣伝もした。
花の香を 若葉にこめて かぐわしき さくらの餅 家つとにせよ
この短歌はちゃかりしているけど好きだ。
そうやって彼は色んな所にに行きたがり、色んなことをしたりして、短歌や俳句を改良したりして生き急いだ。
もうすぐ、桜の季節だ
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