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インスタントラーメン

 カップヌードルは世界中で食べられてるけれど、その元祖チキンラーメンを食べるひとは少ない。しかし、大きなスーパーなんかでは、密かなロングセラーである。最初にチキンラーメンを食べたひとのひとりが父の友人だった。なぜというと、インスタントラーメンを作った安藤百福さんの経営していたアパートに住んでいたからだ。どうしてこんなことを書くかというと、彼がそのひとりであったことはたぶん私しか覚えていないからだ。中国大陸の戦争の傷をおい、遅い学生時代を過ごしていた男と中国人で日本に定着せざるえない安藤さんは一瞬の交流をもって、試作を重ねていたラーメンの味を共有した。そのことは、亡くなったひとたちにとってもたわいもないことで、忘れ去られてしまったかもしれない。しかし、私の記憶として残されたからだ。

 なんでかというと、その後、縁あってそのアパートの近くで新婚生活を送った思い出の地だったからだ。小さなスーパーをたずねたとき、ひどい湿地に建っている日が差さないアパート群のひとつがそこだと知った。小鳥屋のにぎやかな声がする窪地の商店が何軒か残っているが、そこは閉まってしまった市場の跡だった。ラーメンの話は、そこへ行くたびに生活とはと、おのづと何かを語りかけてくれた。そして、今でもラーメンをすするたびに、私は父に聞いただけの、ほんの数回会った男がラーメンをすする一瞬をふと思い出すことがある。それは、たぶんもう、わたしだけの記憶だ。生きつづけるということは、なにかしらを取り込んでいくことかもかもしれない。それをまた、だれかの一瞬に取り込むため、この話を記す。陸軍士官学校を卒業し、田中角栄の村の地主の子孫だった彼がなにを思って戦後を生きていたかは、本人すらわかってなかっただろう。そして、決して、戦争でなにがあったか語らなかったらしい。ラーメンは戦後の欠落を埋めるために生まれた。つらいなにかがあったとき、とりあえず食べる暖かいものとして、今もどこかで、密やかに食べられてる。


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