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高野山への旅 1

 友人から和歌山県の竜神温泉の評判をきき、レンタカーで行ってみることにした。コースをさぐってみると高野山が途中だった。山深く、海にぬけるより往復した方が楽なので、高野山をじっくりと見てみようと思った。そうだ、こっている空海をえがいた漫画「阿吽」にも出てきて、大好きな白洲正子の「西行」にも出てくる丹生都比売(にうつひめ)神社のある天野の里にも行けるチャンスかもと思った。

 まず、両親の墓に参った。普段、不便なところにあり、車がないのでめったにいけないからだ。父がバラが好きだったのでお供えしたが、母は何が好きだったのかな。彼女のことは、ほんと何もしらなかったと胸がつかれた。真言宗なので高野山に何度か行ったことがある。今は高速もあって二時間ぐらいで着く。ホームページで社殿に入れてくれる試みが朝十時で、ちょうど、時間が間に合うので、丹生都比売神社に行ったみた。車は楽になって短時間なのだろうけど、道が険しく精神的な障壁が高い場所だった。ぽつんとひらけたところがあって、何もない田舎が広がっている。

橋本市に下りる道もあるらしいけれど、見事に開発されていない。そこに神社はあった。

14世紀の社殿がそのまま残っている。元々、丹生、赤の顔料の原料の水銀鉱山を営んでいた人たちの守り神だそうだ。写真不可の社殿は鮮やかな赤で彩られている。空海は彼らから高野山の地を譲り受けたらしい。なんでも、高野山の奥から、真田幸村が蟄居したことで有名な九度山へ丹生川を経て丹生の岩が元々、流れ込んでいた。高野山は同じ源の山の真水が流れる台地だ。奈良仏教が盛んなとき、鉱山も大規模に開かれていたらしい。宮司さんの説明はなかなかに面白く、世界遺産になる時、一緒にこの神社が登録されたのは、最初から神仏混交のユニークな場所だからだということ。丹生をつかさどる人たちは高野山をゆづって、この天野の地に移ったとのこと。だから、最初に丹生神社のやしろがここと高野山に建てられたらしい。また、密教にはつきものの護摩行というのは元々なくて、中国のゾロアスター教をそのまま、まねしたということ。これから行く予定だった竜神は、最南端のこの神社の領地であることも知った。行ってみると、やはり、温泉の湧く川と真水の川の境目にあたり、水銀が取れた場所ぽかった。うん、聞いて、いろんな疑問が解けてよかった。

神社の左には荒行をする僧侶が住む地と、右側には学僧が住む地域に分かれていた。右側に西行は庵を営んでいたらしい。

右側近くにある西行庵。どうやら、近所に元妻と娘が尼になって住んでいて、塚が残っている。あと、歌仲間だった待賢門院の女房だった中将の塚もある。高野山を慕った尼さんが多かった。そういった人々の生きた痕跡がかすかに残っている。どうも、廃屋が多く、里は大変そうだった。七五三やら結婚式と地域のシンボルとして、信仰の場としての巡礼のバスが訪れ、神社は確実に息づいて、周りを清めているようだった。

セイタカアワダチソウが満開だった。続きます。

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