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ねこと私

 私は子供のころ、祖父母に子ねこをもらったことがある。大切にし、一緒に寝ていたにもかかわらず、ある日、布団からけりだし翌朝亡くなっていた。それ以来、ねこを飼ったことはない。今、冷静に考えるときちんとした寝床も与えず、飼い方も分かってなかったから、そんなに罪悪感を感じることもないけど、ひたすら、つらかった。

 実は祖父母は動物を多頭飼いしており、残酷で不潔であった。たまに我が家で鳥などを飼っても、両親も手伝ってくれなくて、残酷に殺してしまった。私にとって、動物を飼うことは、むごいこと、私はむいてないという気持ちは言えなかった。

 昔の動物とのかかわりは雑だったということなんだろうと思う。捨て犬の群れに襲われたこともあった。そんな、大人になった私は、誰にもよく吠える犬、なぜか、白いのにクロと言われる犬のお向かいに住むことになった。これが、ずっとほえられる。八年間ほど住んだんだけど、ダメだった。

 引っ越しが決まったある日、夫が言った。クロは引っ込みがつかないんだよ。ビビっている人をみると吠えずにいられないんだ。近くによって撫でてごらん。それから、クロは私に頭を撫でられるようになった。そして、二度と吠えなくなった。それから、近所の犬たちは、私にほえない。こそっと、触らせてくれるようにさえなった。

 で、引っ越し先でお隣の半飼い猫、私曰く、ねこやんに出会った。なぜかというと、餌とおトイレはあるのであるが、となりの家に入れてもらえないからである。ご近所では、ねこは非常に嫌われていた。なぜなら、ご近所にねこを残酷に多頭飼いしていたお宅があったらしい。その猫たちは、暴れる暴れる、けんかをし、繁殖をし、おトイレをまき散らした。

 私が越してきたころには、猫よけの剣山がもう片方の隣の家に置かれていた。お隣の猫はかつて飼われていた猫の嫁として、近所にいついたらしい。かつてのねこはその生存競争に勝つあばれもので、もちろん嫌われていた。その嫁ねこが、寄り付くことをおばあさんは恐縮していた。どうか、犬を飼ってくれと言われたこともある。

 いつも、ご近所を彼女は歩く。確か、最初のころ、どこのおうちと同じように我が家の庭に糞をした。そして、私はそっと片づけた。サザエさんの時代ではなく、お魚を取られる時代でもないし。

 それから、ある日、そっと触れてみた。ねこがなついてくるるようになった。抱っこしても目をとろんさせるようになった。最近は、疎遠なので抱っこはさせてくれないな。人間も一緒だな。距離が近くなったり、遠くなったりする。仲良くするのは、回数とかなんだなってシンプルなことを教えてもらった。

 それが羨ましいと、新住民のひとりが気にせず、ねこをかうようになった。昔と違って、去勢され、医者にも通っているようだ。ねこやんも年老いて子猫が産めなくなった。旧住民たちと猫たちは相変わらず小競り合いをしている。でも、ずいぶんと穏やかになったなあと思う。

 村上春樹の父との関わりを描いたエッセイ「猫を棄てる」。昔のねことの関わりはこんな感じだったなあって思った。今でもだけど、昔はよく動物はよく捨てた。捨てた猫が帰った来た時、お父様がほっとして、それは彼の心の傷がうずいたのだと子供の村上さんは感じた。

 そう、人間も昔はもっと雑に扱われていた。村上さんの父の経験は昔の人の多くのありふれた経験として私は伝え聞いてきたけど、受けた個人には、一生の傷となった。そして、そういった経験は今もどこかで起こっている。でも、人も世の中も変化してもいくのである。

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