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日々のドラマ

 ぼんやりテレビをみていたら、向田邦子の名ドラマ「阿修羅のごとく」の最終回がやっていた。見てなかった。4姉妹の父を演じる、佐分利信が妻を無くして縁側でのたうち回るシーンで終わっていた。なるほど、これでは、再ドラマされないわけだ。佐分利信のような脂っぽいお年寄りは結構いる。でも、探してみると、小太りのこのタイプの俳優さんは、今はほとんどいない。まして、二枚目的なスター性があって、客観的に演じられるとなると。彼が50代で小津安二郎の映画で死のかげにおびえながら、お見合いを進め、セクハラするおやじを演じているのを見ていたので、世の中は変わっていったんだと、しみじみ感じた。小津監督は60で亡くなっている。人生50年の時代だった。そして、長生きして、こんな演技をする時代が来るとは。ドラマは演出はさすがに古いが、人間の普遍的なだめなところを描いていてしぶい。

 その流れで夜、新垣結衣主演の「獣になれない私たち」を見る。この話、結婚が20代前半だった時代だったら、不倫の話なんだろうなって思った。かつては輝いていた妻が主婦になってどんよりしてる。そして、夫は新しい彼女をつくる。彼女が妻に会ってみたら自分に似ていた。性欲が強い時期に結婚が停滞し、ひょっとしてちがうかなって迷いが物語になった。しかし、30代で独身がごろごろいる今、田中圭演じる京谷さんは主要な人物になれない。女性に理想を求めてさまよう男はださいのだ。

 人間の本質はかわらないけど、システムが変わっていく。たいがいの人は違和感を感じながら生きているが、システムに沿うことで安定できる。それゆえ、ちょっとした変化も必要だと思っても起こせない。人間の社会は飢えや病気や災害に弱かった。だから、人間は波乱万丈が当たり前だ。しかし、それが、ある程度防げる世の中では、普通というあいまいなものにとどまる必要があって、息苦しい。だからこそ、そこから、ちょこっとずれることができることを確認するため、物語を欲してると思う。少しずれていいんだ。だから、日々はドラマを必要としてる。

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