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淡路島と私の歴史3
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歴史的なことに触れてると、不思議な感覚が働くことがある。
先日、高野山に行ったとき、戦国時代末に高野山を中興したお坊さんの大きな廟があった。
木食応其とおっしゃる方らしい。その傍らに私のご先祖の賀集家の墓があったのだ。
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これはびっくりだ。このお家は珍しい苗字で現在でも1000人とかしかいない。だから、気がついた。賀集家は戦国時代の淡路10人衆の一家でもある。
沢山のお金を使ってお墓を建てたのだろうか。熱烈な信者だったのだろうか。
たぶん、土木、石とかに関係して、お上人さまにお使えしたといったところかな。
そうだったら嬉しいです。
賀集家という苗字は意味がわからない作られた苗字だと感じる。
上人は元武士で仏門に入ってたのは主君だった忘君越智淡路守の追善のためだったそうだ。
淡路守なんか関係ありそうだ。
たぶん、高野山には色々と彼の記録があるんだろうけど、知りたくない。きっと、それはここに過ごした人たちの大切なものなんだろうから。
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追記
あとで調べたところ、賀集家には脇坂淡路守について行って立野市で一万石の代官になった方がおられる。
脇坂淡路もご上人も近江の人なんである。
その石数なら高野山にお墓立つね。
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