見出し画像

44歳僧侶のおじいさん性と、私のおばあさん性が共鳴してトキメいた話

今日はずっとお会いしたいと思っていた、浄土真宗の僧侶とお話する機会を頂いた。海外で人間についての本を出す準備をされているらしく、「まだ体が動くうちにやっておこうと思って」と言う。まだ44歳なのに、「なんでまたそんなおじいさんみたいな言葉を!?」とお聞きすると、インドの四住期について教えてくれた。

四住期とは、インドのヒンズー教社会に置いて上流階級に属する男子に適用される理念的な人生区分とのこと。

バラモン教法典においては、バラモン教徒(シュードラを除く上位3ヴァルナ)が生涯のうちに経るべき段階として、以下の4段階が設定されている。学生期(梵行期、ブラフマチャリヤ、brahmacarya) - 師のもとでヴェーダを学ぶ時期
家住期ガールハスティヤ、gārhasthya) - 家庭にあって子をもうけ一家の祭式を主宰する時期
林住期ヴァーナプラスタ、vānaprastha) - 森林に隠棲して修行する時期
遊行期サンニヤーサ、saṃnyāsa) - 一定の住所をもたず乞食遊行する時期

Wikipediaより

人生100年としたら、25年ずつの期間で学生期、家住期、林住期、遊行期が切り替わっていくイメージだ。

私を含む40代と言ったら普通は家庭を作って、お金を稼いで、と言う家住期にあたる。子育てに時間とエネルギーを使ったり、人生の中で最も仕事をする時期かもしれない。一方で、この家庭を作ってお金を稼ぐフェーズは40代でその出力のピークを迎えて、50歳を迎える頃にはもはや右肩上がりの成長は止まる。ほとんどの人は昇格の限界も見えてくるし、会社での居場所が微妙になってくることも多い。上を目指し続けるのは、ぶっちゃけ辛い。なのに、上を目指していないなんて怖くて口にできないのが資本主義のプロトコルだ。

彼は、そんなモヤモヤとした悩みを持つ企業の幹部の方達とお話ししながら、この家住期からいかに林住期に転換するか、のサポートをしているという。林住期は、比喩的に言えば林の中に入って、本来自分が喜びを見出すことに時間やエネルギーを使う時期。もう少し身近なイメージで言えば、お金から解放されて自分が本来望むことを実行にうつす期間とも言える。副業や、若手の育成、蕎麦屋の開業などの方法もあるかもしれない。

社会的に成功している人であればあるほど、建前上は上昇志向の梯子から降りるのはタブーになりがちだ。でもそのあたりの思い込みを、そっと剥がしていくのだろう。(私がコーチングを学ぶ理由と同じだ!!)

その見立てを聞いて、つい興奮して嬉しくなって「私も、20年間ずっとお金のために働いてきたけど、もうそろそろお金にならなくて、後回しにしてきた美しいものにエネルギーを投じたいんです!!それで金沢に町家を買うことにして」と話すと、微笑みながら「それがまさに林住期への転換です」と教えてくれた。(胸キュン!)

そして彼の提案は、この四つの期間を順番に移行すると言うよりは、常に一人の人の中に四つは内在するのだけど、その配分を時期によって変える、という考え方。だからたとえば私で言うと今は家住期から林住期に重心は移るものの、家住期成分もまだまだ残るし、なんなら学生期も一部戻ってくる、ということ。実際この数週間だけでも、建築基準法や都市計画法、税法などいろいろ新たに学ぶことがって、ちょっとした学生期の始まりは感じている。

彼の「おじいさんみたいな」表現に話を戻すと、「私は林住期比率を今増やそうとしているので、『体が動くうちに』と、おじいさんみたいなことを言いました」とのこと。そういう意味ならと、途端に合点がいって、「じゃあ私もおばあさんですね!!!認知機能が壊れ始める前に町家を買おうと思ったんです。多分、あと10年くらいしかないから」と意気投合し「今日は私のおじいさん性と、ワカメさんのおばあさん性が共鳴しましたね」と言っていただいた。(胸キュン2!)

最後は、林住期のうちに、またお目にかかりましょうと願いを伝えつつ、お別れ。林住期に限らず遊行期も何かでご一緒できたら楽しいだろうなと思う。

ちなみに遊行期は、死を迎えるという、人生最後にして最大のトランジションへの準備だという。正直なところ今のワカメには全く、ピンと来ないけど。本物の僧侶が「それはもう、死に向けた支度をすると言うことです」と低いトーンで、確定的に言っていたが今日のギフト。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?